「土木とはそういうもの」-① |
11月8日、(関西地方の)毎日新聞夕刊1面記事の見出しは「危険ライン根拠なし」というものであった。これは「河川」に関わってきた”市民”の間で大きな反響があった。
淀川:危険水位ラインに科学的根拠なし 70年前決定
淀川水系流域委員会では「不要」とした大戸川ダムを、近畿地整が「見切り発車(※1)・河川整備計画(案)」では必要とした、その根拠を問う記事である。
※1.河川法16条の2第3項に基づき、河川管理者自ら設置した淀川水系流域委員会の最終意見を聞かずに関係府県知事に提示した。
多分、このことは多くのブログ等に採り上げられているだろう。私は少し違う観点からこれを見た。
この記事中に小俣篤氏の言葉が載っている。
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国交省淀川河川事務所の小俣篤所長は「線の引き方が非科学的だと言われたらその通りだが、土木とはそういうもの。国が責任を持つと決めた線だから守らなければいけない」と話した。
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「土木とはそういうもの」…うううむむむ。
もともと「基本高水流量」などというものは、相当に「いい加減」なもの(この言い方が悪ければ「唯一解のないもの」。ゆえに選択の問題。)」なのだから、計画高水位(HWL。基本高水流量から洪水調節施設での調節量を引いて計画高水流量とし、それを水位に引き直したもの)が、数センチ単位で「絶対無二」のものであるはずがない。HWLをちょっとでも超えたら破堤する、など、およそ河川技術者なら、考えているはずがない。
「○○のような降雨では、HWLを××センチ超えることになるから、ダムを建設することが絶対に必要」なんて話は真面目に議論する気にもならない。この程度のことは、河川技術について初歩的な知識があればすぐに分かる話。
2006年、徳山ダム裁判行政訴訟の事実審(控訴審)が結審したときに、あまりにもおかしなH-Q曲線のことが、ずっと気になって仕方がなかったので「事実審が終わったからもう良いでしょ?ホントのことを教えて」と中部地整に(個人的に)聞きに行った(※2)。そのときに「基本高水流量は、行政にとっての『目安』の数値です。行政の継続性、という意味で、よほどのことがない限り変えません」と、あっさりと、少しも悪びれもせずに言われてしまって、ハレホレヒレ・・・・
※2.裁判でも問題にした「おかしなH-Q曲線」につき、幾分か誤りがあった、と事実上認めた。この時点で徳山ダム堤体は、ほぼ作られていた。すでに「H19年度中に策定する」と公言していた木曽川水系河川整備基本方針では、徳山ダムの存在をを前提に、揖斐川の基本高水流量は前の工事実施基本計画のものを踏襲することは、火を見るより明らかだったので、「問題」にして騒ぐ気にはなれなかった。
「HWLをちょっとでも超えたら破堤する」などというのが本当であれば、河川管理者がHPで公表している重要水防箇所(木曽川水系揖斐川の堤防であればここ)を見たら、堤体の断面不足やら堤防高不足だらけ、怖くておちおち寝ていられない。HWLより低い水位で破堤するぞ、と公言していることになる(まあ、破堤したときの言い訳として「HPでも危険を周知するようにしています」というのだろうけど)。
河川問題に長らく関わっている人の感想の一つを転載する。
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計画高水位が堤防の安全の限界=危険の境界でないことは、もう30年前から、長良川河口堰から我々が言っていることです。おっしゃるとおり、河川技術について初歩的な知識があればすぐに分かる話です。
旧建設省が計画高水位=安全限界ライン(危険境界ライン)と言っていることを、そのまま真に受けて、計画高水位の決定経過や堤防高(余裕高)を無視して、ひたすら計画高水位で報道しているのがどうかしていると思っていました。
「土木、特に河川土木とはそういうもの」です。河川堤防は、土木工学の中で、経験的なものが大きい分野でしょう(いい意味でも悪い意味でも)。当たり前ですが、我々も国土交通省も使う材料は同じです。
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「土木、特に河川土木とはそういうもの」 … つくづくと「そうなんだよなぁ」。
とはいえ、私が小俣氏の発言に着目したのには、また別の理由がある。彼は前の前の岐阜県河川課長だった。岐阜県は代々の河川課長は、河川局キャリアが「出向して下さって」いる。小俣氏が河川課長だったときに…。
私は、相当に怒っている。「土木とはそういうもの」というのは、実際、彼は土木技術者なのだから、まあ、良い(しょうがない)。しかし、そうならそうで真面目に「土木技術者」であって欲しい。事実を曲げるようなことをするのは許せない。
(続く)