「土木とはそういうもの」- ③ |
2002年7月の荒崎水害の被災者が、河川管理者に責任を問う訴訟(荒崎水害訴訟)を起こすことが新聞記事になったのは2004年6月である。被告は「指定区間管理者・岐阜県知事(=担当課は河川課)」となることは明らか。そうは言っても水害訴訟では「原告敗訴とすること(=河川管理者を免責すること)」は、国(国交省河川局)にとっても至上命題である。
当時は、徳山ダム事業費増額問題の最終局面(話は「決まった」も同然であったが)。比較的頻繁に中部地整河川部に「お喋り」に行っていた。2002年の荒崎水害と木曽川水系河川整備基本方針・河川整備計画策定の関係については、よく話題にしていたから話の中に提訴予定と報道されている荒崎水害訴訟が出てくるのは不自然ではない。当時の流域調整官が、世間話風な会話の中に「荒崎水害が提訴されるようだけど、代理人はZ弁護士ですかね」と私にカマをかけてきた。「さぁ。私は当事者ではないから知らない」とはぐらかすのも、まあ見え透いた芝居。(岐阜県に対してヤマほどの情報公開請求をかけていることはツーツーに知られていること、ゆえに何らかの形で私が関わっていることはミエミエではあった)。
一度くらいは、そんなふうな芝居も「あり」だろうが、三度も「荒崎水害が提訴されるそうだけど、代理人はZ弁護士ですかね」と聞いてきたら、これは世間話の流れではなくて「(お喋りな近藤から)聞き出せ」というミッションであることがバレバレだぁ(Z弁護士はこの訴訟には直接関わっていない)。思い出すだに可笑しい(^_^)。
この荒崎水害訴訟で被告・岐阜県知事(=担当課:岐阜県河川課)が出してきた「書証-乙40号証」というのがある。「大谷川/荒崎地区だけが特別に被害が多いわけではない、県内に他にも同様な場所(板取川・水門川)がある。だから河川管理に瑕疵はない」というスジの主張のためである。
直感的には「ウソばっかり」とは思ったが、「毎年国交省がデータを集めて作成する『水害統計(「国土交通省河川局の水害統計調査 調査要領」に沿って、その統計の採り方の説明から報告まで8ヶ月くらいかけて行うもの)』から採ったのだろう、『水害統計』が元データだと、それ自体を弾劾するのは難しいな」と思っていた。
しかし弁護団の弁護士が水害統計(公表されている)を見たら「話が合わない」。
で、私の特技であるツッコミ問い合わせ電話で情報に探りを入れ、情報公開請求をかけてみたら、上記の報道(荒崎水害被災者、提訴の予定)があってから、間もなく河川課長名で県内各建設事務所に「県内の主な河川における水害発生状況の調査について(依頼)」というものを発していたことが分かった。
こんな調査依頼は後にも先にもこのときしかない。明らかに荒崎水害訴訟への対策用に無理な仕事を指示したのだ。この「依頼」に対して多くの建設事務所は、市町村に丸投げした。市町村はさらに短時日で答えさせられたのだから、おおかたは水害統計資料を各建設事務所に返した。しかし、岐阜県河川課は、そこからまさに「ご都合主義的」にデータを拾って「乙40号証」というものを作り上げた。
原告側準備書面の一部をアップする。 こうまで酷いことをやられると、私は「資料捏造だ」と言わざるを得ない。2004 年8月に資料捏造を指示する河川課長(小俣篤氏)は、今は、科学的データに則って公正に物事を考え、資料を作成する(指示を出す)ように「成長」したのだろうか?
その後も離任して本省に帰るまでの間に行った被告・岐阜県知事(=担当課:岐阜県河川課)の主張等の責任は、河川課長だった小俣氏が負うべき部分も大きいと私は考えている(結果として後任の課長と部下ががエライ目に遭った、と私は思っている。どんなダメ主張をやっても「大東水害訴訟最高裁判決」という河川管理者にとっての水戸黄門の印籠があるから大丈夫、ということなのだろうか。が、治水思想も変化してきている。永遠に「大東水害訴訟最高裁判決」で河川管理者が免責されるとは行かないと思う-思いたい)
H20.11.11 平成20年11月8日付毎日新聞夕刊『淀川の堤防「危険ライン」根拠なし国交省認める』との記事に係る見解について<淀川河川事務所の見解> は、「土木とはそういうもの」の範疇であるともいえる。
私は土木技術者ではないから、ストンと胸に落ちはしない。が、「土木、特に河川土木とはそういうもの」 … そして行政(河川管理者)は、何らかの数値を「目安」とするのだろうことは(その数値自体の評価はともかくとして)、一定程度は「そういうもの」と受容せざるをえない。
しかし、小俣氏が岐阜県河川課長だったときのあれこれ(乙40号証/荒崎水害訴訟「だけ」ではないあれこれ)を思うと、今般の淀川河川事務所の見解を素直に受けとめられない。
河川行政が、まだ当分「土木とはそういうもの」である数値を使っていかねばならないのであればこそ、「資料をご都合主義的に収集し、無理矢理ある主張に当てはめる」類のこと(私は「捏造」と評価する)を、行政に携わる者は、行ってはならないのである。
小俣篤・淀川河川事務所長が、私が考えているような人物でないことを、私は心の片隅で期待している。
(この稿終わり)