美濃橋と川湊 |
11月19日、美濃市の大矢田神社の紅葉を見に行く(紅葉狩り)に連れて行って貰った。
Wikipedia「美濃橋」からの引用
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美濃橋(みのばし)は、岐阜県美濃市の長良川にかかる人・自転車専用の吊り橋である。
1915年(大正4年)8月起工、1916年(大正5年)8月完成の吊橋である。現存する最古の近代吊橋であり、2001年(平成13年)に土木学会選奨土木遺産を受賞し、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定された。
吊橋を支える主塔は鉄筋コンクリート製。床板は木製であり、鋼材でできた補剛トラスがあるのが特徴である。
設計、建築は岐阜県出身の建築技師、戸谷亥名蔵。
橋長: 113.0m
支間: 116.0m
幅員: 3.1m
橋梁形式:単径間補剛吊橋
所在地:岐阜県美濃市上有知~美濃市前野
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橋がかかっているのは長良川河口から74.9km(県管理区間)。橋は市道として美濃市が管理しているそうだ。
地図で、長良川中央漁協は、美濃橋近くにあることを発見。
下は美濃橋から見た長良川。
美濃橋から少し下流に川湊の燈台があった。その辺りを港町というらしい。
ここでも昔の舟運の重要さの痕跡を見た。
(河口から約75kmも上流なのである!)
幾度も言及するが:
自宅のすぐ北側を流れる牛屋川は、500mほどで水門川(揖斐川の支流。大垣市による水門川遊歩道)に合流する。そこが「松尾芭蕉「奥の細道」結びの地」で住吉燈台が往時を偲ばせている。
杭瀬川(やはり揖斐川の支流)を遡り、河口から46kmくらいの赤坂(中山道赤坂の宿)にも川湊の跡がある。
人は川を利用して暮らしを営んできた、それは同時にときに牙を剥く自然-川の脅威-と、常に隣り合わせだったはずだ。
一体、いつから人は川を水量(毎秒○m3の世界)だけで語るようになってしまったのだろう?(川を水量としてだけ見れば、土木技術を駆使してコントロールすることは何の躊躇いもなく「善」である。ダムもまた「正義」となる)。「便利さ」を追求してきた(そして手放したくない)私たちは、この見方を、変えていけるのだろうか?