徳山ダム建設中止を求める会 14年目に |
歳が押し詰まった。
「今年の回顧」記事に徳山ダムのこと、木曽川水系連絡導水路のことが載っている。
☆岐阜新聞/ぎふ回顧2008 08.12.17
徳山ダム完成 /課題を抱え本格運用
☆毎日新聞/佇んで:08年を刻む3 08.12.24夕刊
徳山ダム 導水路計画
私たち「徳山ダム建設中止を求める会」は、1995年12月25日に発足した(…ことになっている)、この日に初めて大垣駅前でビラ撒きをしたから。

右 信濃毎日新聞 1996.2.13
その他の新聞記事はPDFファイルで。(3枚)
記事中にもあるように、建設省(中部地方建設局)による「徳山ダム建設事業審議委員会」の設置が、当会発足の引き金である。
建設省の「ダム等審議委員会設置」の動き、及び徳山ダムがその対象になることは、1995 年夏には耳にしていた。
「建設省が(口先だろうとなんだろうと)『中止も含めて見直す』と言っているのに、流域の私たちが声を上げなければ『揖斐川流域住民はすべて徳山ダム建設を望んでいた』と歴史に刻印されてしまう。それは耐え難い」と思った。
会の発足にあたっては、いろいろな意見があり(会の名称一つにしても「『徳山ダムを考える会』とか立場をぼかして広げた方が良い」という意見もあった)、なかなか発足できないでいるうちに、1995年12月20日に「徳山ダム建設事業審議委員会」の第1回会議があった※。
※ 1998年に「徳山ダム建設事業審議委員会」で観察して若干論じてみた拙稿を、そのうちにアップしたいと考えている。
「来年(1996年)8月の概算要求に間に合うように、3~4回の会議で『推進』意見が出されて終わってしまう可能性も大きい。もう待てない。」と判断し、大垣市在住の4人で動き始めた。
名称も「今さら『考える』などと曖昧な表現とするのは、まさに苦渋の選択をして故郷を去った徳山の人たちに対して、非常に失礼なことになる」と考えた。もちろんこの名称への風当たりも織り込んでのことである。
当然の風当たりもあれば「ウッソー」みたいな大垣市からの直接・間接の圧力もあった。
爾来、丸13年を経、14年目に入っている。中心メンバーの中には他界した人もいる。
徳山ダムは竣工しても、まだ完成ではない。完成でない以上「中止を求める」も論理的にはありうる。シツコサも技のうち … 当面は、活動を休止せずにやっていく。
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郵便振替 番号 00800-7- 31632
加入者名 徳山ダム建設中止を求める会