1996年11月24日「徳山ダム建設をやめさせ、山の再生を求める全国集会」 |

前の稿(1月16日アップ)で「憲法で勝ち取った」と大きく出たスイトピアセンター使用。
これは、前日の「水源連総会&徳山ダム予定地見学」とセットで行われたものだった。

当時の新聞記事(PDFファイル版)を見て、「あのときは当然のようにデモ行進をしたのだぁ」と改めて思った。
主張があるのだからデモンストレーションを行うのは自然の成り行きのはずである。
最近は「『デモ』というのは、余りにも左翼的で固いから多くの人に受け入れて貰えない。パレードとか言い換えたほうが良い」という意見も多いようだが、商品や企画を売り込むときも「デモ」という。英和辞典によれば「demonstraition 1.実演、実演教授、実物宣伝 2. 示威行進 3.証明、証拠」。「デモ」が、イデオロギッシュな否定的な言葉になってしまったのは、「(政治的)表現の自由」を萎縮させてきた原因であり結果ではないだろうか?
なお、ここでデモ指揮のために前面に立っている作務衣姿の人物は、当時、私と一緒に「徳山ダム建設中止を求める会」の事務局を担っていた亡夫・近藤正尚(まさたか)である。作務衣を着ているのは「(名古屋)平曲伝承者」というアピールのようなもの。
この時点では、3週間ほど後の12月半ばに岐阜県知事選(1997年1月16日告示)に出馬宣言することになるとは決まっていなかった(「どうしても立候補者を口説けない場合には、責任をとって、自分が立候補せざるをえないかもしれない」ということは考えていた。私は「まあ、やむをえない。(一緒にやっている)仕事の面から言えば、この時期一番大変なときで、その全部を事実上一人でやらなければならなくなるのがシンドイけど。あなたが候補者だと、知名度も何もないから、”泡沫候補”になりかねない、供託金没収になるかもしれないのが、最も問題だわね」という反応だった。後から知ったのだが、一般的には、「男性を立候補させるには、その妻を説得することが最も高いハードル」なのだそうである。これは今ひとつ私には理解できない。「候補者の連れ合い」は、候補者本人ではない。選挙が嫌いなら関わらなければ良いだけ・・・・・と思っていたが、一般的な「世間様」だけではなく、市民運動の一環として選挙をやろうという人たちに対しても、「候補者の妻」は「主人をどうぞよろしく」と頭を下げて歩き、何かと気を遣わねばならないのだそうだ。私はそんなことはツユと思わなかったから、頭を下げたりはしなかった。あくまでも「一緒に選挙運動をしている仲間の一人」としてしか行動した。これが一部の人には評判が悪かったらしい。)
◇ フズリナの化石/全国集会参加者への「お土産」

この小粒の小石はフズリナ(古生代)の化石である。大垣市赤坂町の金生山(赤坂山)で拾い集めたもので、全国集会参加者に「お土産」として配った。
大垣市赤坂町の金生山は化石の宝庫として有名である(あった、と過去形にするべきか)。
HP 金生山の化石
HP 化石博物館 金生山の化石
HP フズリナ化石
「化石が出る」ということは、つまり石灰石の山である。「大理石」として使われたものも多かったようだが、私が大垣に移り住んだ頃は、もう「赤坂山から掘り出した大理石」の加工は行われていなかった(外国産の大理石加工は行われていた)。
私が初めて赤坂山を見たとき(1971年)には、石灰石掘り出しで、すでにかなり削られた。

普通はこの写真のような形で出てくる。そして研磨すると「美しい模様」となる。
この粒は、いったんは岩石の中に固まっていたのかもしれないが、(わたしには理由は分からないが)石灰石切り出しの後に残された粉々の石灰石に混じって地表にあった。「ただの小石」とは形が違うので分かる。が、小さいから立っていたのでは見えない。しゃがんで周囲を見回しながら拾う。慣れてくると”いったんしゃがむと20個位は拾える場所”が、何となく分かってくる。亡夫(もともと赤坂山の麓で育ち、幼いときから化石拾いをして遊んでいた)と一緒に、「お土産用」に200個くらい拾った。
化石もまた水が創り出した「いのち」の痕跡である。地球は「水の惑星」なのだ。
下はウミユリの化石。他にもウチの庭にはたくさんのフズリナ、ウミユリ、サンゴの化石などが転がっているのだが、草に埋もれてなかなか見つけられない。
