徳山ダム湛水誘発地震?? その4 |
◇ 徳山村の人の思い、流域住民の思い
「その3」でも触れましたが、1984年の新聞記事(コピーではなくホンモノ)を下さったのは徳山村の方でした。
「下流の人々のため(洪水を防ぐ)ということで、自分達はふるさとを捨てることになった。もしダムで地震が起きるのだったら、つまりダムが災いのもととなるのだったら、どう考えれば良いのだろう?」
1980年代前半、つまり補償交渉の最中に、長野県西部地震が起こり、新聞記事が出ました。補償交渉という厳しい「現実」に日々向き合いながら、徳山の人たちは、このことを気にしていました(地滑り問題とともに)。
しかし、国土交通省(旧建設省)も水資源機構(青山俊樹理事長!旧水資源開発公団)も、この問いを一顧だにせず、何の回答もなく、今に至っています。
「あの場所で巨大地震が起こったら・・・大災害になる」
聞くところによれば、徳山村の集団移転地として、当時の公団が考えていたのは、揖斐川町の表山団地だけだったとか。しかし「ダムによる大災害があるかもしれない揖斐川流域には住みたくない」と表山団地への移転を拒否された方もみえる、とか。
今、徳山ダムにそれほどの関心をもっていなかった揖斐川流域住民から「この地震はダムの所為ではないか?もっと大きな地震が来ないか?ダムが決壊したら大災害だ」という不安の声が上がっています。
国土交通省や水資源機構にしつこく問い合わせをして出てくる回答は「震度4以上の場合には、堤体やダム湖周辺を点検する、という規定になっています」 … そんなことを聞きたいわけではないのに。
水資源開発公団の時代-補償交渉の頃-にも、「ダム湛水による誘発地震の懸念」は、徳山村の人たちから発せられていました。その「記憶」が少しでもあるなら、私の問い合わせにあわてふためいた挙げ句にこのようなトンチンカンな回答は出てこないはずです。
私は国土交通省(旧建設省)や水資源機構(旧水資源開発公団)の職員と長々と「付き合う」羽目になっています(相手をして下さる方々は本当にご苦労様だと思っています)。一人一人の職員は決して悪人ではありません。ただ「上司の命令による目の前の仕事」を一生懸命にやっているだけ・・・。
異動の際には「公式記録」のみを引き継ぎ、その余のことは引き継がない。そして自分としては前に携わった事業のことは忘れるし、仮に記憶に残っていても「他事業のことについては一切言えない」(=2007年に、水資源機構川上ダム建設所の恒吉氏がTVカメラの前で繰り返した言。徳山ダム建設所用地課長のときのことを旧徳山村の地権者から名指しされ、TV局が取材に入った)と封じ込めてしまうのです。
事業を進める一人一人の職員のそうしたありようが、結果としては、人の一生を翻弄し(ときに命さえも奪い)、深く心を傷つけ、子孫に財政的・環境的ツケを残し、一部の高級官僚とファミリー企業による税金ドロボーの片棒を担ぐことになってしまっています。
水資源開発公団時代、その組合(水資労)の委員長が、何人も自死に追い込まれました。その「原因」について、「同僚組合」関係者は、「自分らの組織の仕事の内容と組合としての立場の板挟み」と表現していました。
ダムとは不条理なもの
水没住民にとっても、流域住民にとっても、そして事業を進める者にとっても。