<続>徳山ダム裁判原告団結成から10年 |
07.02.22 徳山ダム事業認定取消訴訟(行政訴訟)敗訴確定
→「やめよ!徳山ダム72号 07..04.19」
07.11.30 徳山ダム公金支出差止訴訟(住民訴訟)敗訴確定
→「やめよ!徳山ダム 75号 07..12.12」
75号に掲載した在間正史弁護士からの寄稿:
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徳山ダム裁判弁護団長・在間正史弁護士から
徳山ダムの岐阜県工業用水についての住民訴訟の上告棄却の決定が11月30日にありました。すでに報道でご存じの通りです。その理由は上告理由に当てはまらないというもので、内容について検討したうえでのものではありませんでした。以下、訴訟や判決の内容ではなく、私の私的な感想です。
これで、徳山ダムに関する訴訟は全て終了しました。また、長良川河口堰建設差止請求訴訟から約30年間にわたって行ってきた木曽川水系のダム等建設事業に対する訴訟がなくなってしまいました。その殆ど全てを当事者として(代理人ではなくその気持ちでいました)行ってきた者として、もうすることがなくなくなってしまったという脱力感と亡き村瀬さんの思いに答えるためにも、さらに何かやらなければならないという思いが交錯して、何とも言えない状態です。
「科学的合理性を追求して市民的正義と環境保全を実現する」というのが、裁判のあるべき姿と考えていることであり、私の訴訟スタンスです。そのために、事実と論理を徹底的に追求した訴訟活動をしてきました。やればやるほど、事実と論理は厚みを増し、かつ精緻となり、長良川河口堰や徳山ダムのダムの有害性と不必要性が明らかになり、分かっていきました。自分としては、やれることはやって最 大の努力をしてきたつもりです。しかし、訴訟の判決では、私達が明らかにしたことについては、答えてくれない、沈黙の回答しかくれないのです。答えさせられなかったことを考えると、厚い壁と自分の力不足を思うばかりです。
毎月幾度も、津の老母のもとに行くために長良川を渡ります。その度に、変わり果ててしまった長良川に胸が痛みます。また、毎年、8月に徳山キャンプに行っていますが、ダム堰堤で川が詰められてしまった姿と今年の貯水で徳山村がなくなってしまっているを見て、同じ思いにかられました。
覚悟していたこととはいえ結果は得られませんでしたが、筋道を通しておかなければならないことがあり、その積み重ねが大切なのでしょう。小沢がやがて大河となるように、いずれは社会が動いていくはずです。しかし、何もしなかったら、いつまでもゼロであり、変わっては行かないのです。これを胸にこれからも生きていきたいと思っています。
長い間、一緒に訴訟活動を担っていただき、ありがとうございました。
(07.12.09 在間正史)
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これは、一種の「惜別の辞」なのですが、実は、「徳山ダム建設中止を求める会」「徳山ダムをやめさせる会」関係者は、このときすでに「木曽川水系水資源計画の最後の落とし前/木曽川水系連絡導水路を巡る次なる訴訟」が暗黙の了解事項みたいに頭の中にありました。
そして、長良川市民学習会(これは訴訟とは直接関係ありません…岐阜県相手の訴訟沙汰を避けるために若干苦労しました(不透明すぎる!木曽川水系連絡導水路-上流分割案-の「合意」 参照))が立ち上がり、今年3月1日にはいよいよ訴訟を念頭に置いた「導水路はいらない!愛知の会」が発足しました。
要らない水源開発施設を「やはり要る」「有効利用する」と言い募る”向こう側”も、諦めが悪くシツコイですが、こちらも十分にシツコイ・引かない・終わらない。
「木曽川水系連絡導水路建設事業計画」をきれいさっぱり葬り去るのと、自分自身が棺桶に入って葬られるのと、どちらが先か?
向こうがいつまでもゾンビであり続けるなら、こちらが「不死鳥」となりませう。
18日、ウチの木蓮は咲き始めた。
馬酔木は新芽を吹き始めた。