土木技術者が希少種の養殖技術を磨く??? |
中日新聞 2009年3月16日 夕刊に以下の見出しの記事が載りました。
繁殖50匹、川に戻れない?三重のオオサンショウウオ保護実験
PDFファイル版
流域委員会で実際にきちんと行われた議論と、河川管理者の「判断」の捻れ(河川管理者が、自ら設置した流域委員会の議論を無視・蹂躙した、ということ)で有名になってしまった淀川水系河川整備計画策定。
その河川整備計画策定はまだ途上ですが、どうやら「新たに建設するダム」として復活してしまいそうな川上ダムを巡る話です。
水資源機構川上ダム 建設所HP
「伊賀の里 自然にやさしい ダムづくり」
「環境に優しいダム」などという言語矛盾的なことを言いだし、あれこれ(金のかかる)弥縫策を考えた挙げ句に、こういうドツボに自ら嵌る、という典型例だと思いました。
「希少種を保護すれば良いのでしょ」レベルの「自然環境・河川環境」理解しかできないのに「河川環境の整備・保全」などと河川法1条で謳うことの誤りが全面展開しています。
もちろん「河川環境保全」が悪いのではありません。
河川というものを「××m3/Sの流水」でしか理解できない土木技術者の組織が「河川環境の整備・保全」を行おうとするのが大間違いなのです。
(だから「河川環境の整備・保全のための新たな巨大土木施設建設」に走ったりする。 ex. 木曽川水系連絡導水路、設楽ダム)
木曽川水系連絡導水路については以下のサイトにアクセスして下さい。
長良川市民学習会
導水路はいらない!愛知の会
設楽ダムについてはサイトにアクセスして下さい。
設楽ダムの建設中止を求める会
「河川環境課」という部署を作ったからって、「三つ子の魂百まで(土木技術者の根性)」が急に変われるはずもありません。
これは「河川土木技術」を貶めて言っているのではありません。
その技術を真っ当に活かして欲しいと心から願って述べています。
地元の水害訴訟に首までどっぷり浸かって、つくづくとそう感じています。
真面目な河川技術者の情熱と治水予算を、(ダム建設に固執することなく)新たな知見を活かした水害防御の施策に振り向けて欲しい・・・。
そして、自然生態系のことは、その道の専門家(いわゆる「学者」だけではない。地域の「古老」は重要な存在)の意見がきちんと反映できる仕組みを作って欲しい・・・。
河川局-河川部-河川法の世界で完結するはずはありません。
「河川局-河川部で(そもそも水資源開発のための組織である水資源機構を巻き込んで)、流域の生態系の課題まで抱え込むことの無理無体」が問題なのです。
お役人組織には「権限の無限拡大への本能」があるようですが、「××m3/Sの流水を制御する」思考法の延長では(総合治水/溢れる治水までは取り込めても)、生態系保全を取り込むことは無理です。
生態系は、基本的に「人工的にいじらない」のが原則です。「自然に手を加える」ことを基本とする土木技術の発想の延長線上には「乗らない」。
河川局-河川部は、異なる組織(自然環境保全を一義とし、原則的には、人工構造物の建設を規制する組織。今の環境省がそうなれるかどうかは「?」)の規制を受けながら、自然生態系と何とか折り合いつつ、必要最低限の「工事/整備」をするしかないでしょう。
もう「経済成長の確保」「大きいことは良いこと」「技術が自然を制御できる」などという思考法は通らない。小さくなること、切りつめていくこと、自然に委ねること・・・etcを、再度学び直すしかないのです。
「土木技術者が希少種の養殖技術を磨く」というアイロニーは、誰をも幸福にはしません。
2010年は、生物多様性COP10が名古屋で開催されます。
◇ ◇ ◇
ところで、川上ダムは「独立行政法人水資源機構(旧 水資源開発公団)」を事業者とするダムです。これは1961年に作られた水資源開発促進法に基づく水資源開発基本計画(フルプラン)に位置付いた事業でなければ、水資源機構は事業者になりえません(すでに位置付いたダム以外は、基本的にはダム建設は出来ない)。
「水資源開発促進法」「水資源開発基本計画」… 名称からして時代錯誤ですね。
長良川河口堰への闘いに生涯を捧げた(徳山ダムへの闘いも一緒に闘って下さいました)故・村瀬惣一さんは、「水資源開発促進法が作られたとき、社会党は、反対するだけでなく、時限立法とする、という修正をかけるべきだった」と仰っていました。
(故・村瀬惣一さんは岐阜県の社会党を背負っていたような方でした…でも最後のほうになって社会党は彼を追い出した。詳細を書くだけの知識もないのでここまで)
水資源開発促進法が作られた時代は、ある意味ではダム建設促進の「社会的コンセンサス」があった、と言えます(もちろん、根強い反対もありました)。そうだとすれば「修正」という選択もあったのかもしれません。
仮に、水資源開発促進法が10年ごとの時限立法だったら…。
まず「恒久的な組織ではない」ということですから、職員採用なども、常にそれを意識したことでしょう。「水資源開発公団に就職して定年まで勤める」ことを大前提とすることはできない。組織には「組織維持の本能」が働きますが、「恒久的組織」と「10年ごとに見直しがかけられる組織」とでは、「そもそもの意識」が異なります。
1971年には10年延長がなされたでしょう。しかし、1970年代前半には地下水揚水規制※とオイルショックの挟み撃ちで工業用水需要は上昇カーブがいきなり漸減基調になりました。
※ 公害問題による廃水規制も大きかったと思います。工場廃水をそのまま河川等に「垂れ流す」ことは許されなくなった。法律の定めの通りに浄化した水にするなら、再度それを工場内で利用しよう、と経営者が考えるのは当たり前(特別のエコロジストでなくても考える)。急速にリサイクル率が上がりました。
1981年には、延長への異論が生じ、何らかの条件が付くようになったのではないでしょうか?
そして1991年となると… バブルがはじけていて…
遅くとも2001年には、「管理業務のみ」の組織になっていたでしょう。
歴史にタレレバはありませんが、「歴史から学ぶ」必要はあるように思います。
◇ ◇ ◇
咲いた、咲いた、桜が…。
ただしこれはソメイヨシノではありません。
「松尾芭蕉 奥の細道結びの地」のソメイヨシノの蕾は、まだ膨らんでいるとはいえません。