清渓川と漢江~ 韓国 ソウル~ |
前の稿で「街の中の川」をテーマとした。
「街の中の川」という話だとソウルの清渓川(チョンゲチョン)に話が流れる。
1ヶ月以上前のことになってしまったが、ソウル市内を流れる清渓川と漢江について、少し。
3月29日から4月1日まで韓国に行ってきた。熊本の人が中心に企画した「韓国独立記念館研修ツァー」に参加した。最終日だけ、少しソウル市内を巡ることができた。
<清渓川>
清渓川(日本語)公式サイト
暗渠から出てくる清渓川始まり部分の噴水から流れる人工滝。
徳寿宮の大漢門で「衛兵交代式」を行っていた一団が、そのまま歩道を隊列を組んで歩き、清渓川べりまで来ている。見物客を意識しているのではなさそう。意味は分からない。
時間がなくて、この清渓広場に5分ほど居ただけ。
感想としては、「どこでもかしこでもこれをまねた『河川復元大工事』をやることになってはかなわない。こういうことはしないで済むように、川を壊さないことに努めたいものだ」。
<漢江>
4月1日、ホテルが漢江(ハンガン)・蚕室大橋の近くだったので「朝飯前」に散歩に出かけた。
yahoo百科事典 漢江
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漢江は大河である。全長514.4キロメートル。流域面積は2万6279平方キロメートル。下流で臨津江(イムジンガン。有名な歌がある)を合わせ、江華島を洗うようにして黄海に注ぐ。
上流には多くのダムがあると聞く。
ソウルでは、中心部から少し離れた南側を、東から西へと流れる。
4月1日、日の出後まもなくの漢江
蚕室大橋の南詰。「軽い散歩」のつもりでホテルを出た。アバウトな地図では、「橋は近い、橋の長さもまあ…」。せいぜい長良橋か忠節橋くらいだと思っていた。
この橋を徒歩で往復するのは大変なのだ、とは、この写真を撮った時は知らなかった。
橋のほぼ直下に堰が設けられている。北側(ソウル市内中心部寄り)にゲートなどがある。取水をしているのであろう。いくつか魚道も見られるが、この川幅にこの魚道がどれほどの意味を持つのかは分からない。
水門(ゲート)の下から上流(東側・太陽側)を見る。
蚕室大橋の中央より右岸(北)側から左岸下流方向を見ると、堰から流れる水は若干泡だっている。工場廃水や生活廃水が、十分に浄化されないまま流れ込んでいるようだ。
「漢江」というと、朝鮮戦争の壮絶な戦闘とか、橋が落ちた事故とか、どうも暗いことが頭に浮かんでしまう。
いつの日か、漢江が、朝鮮半島に暮らす人すべてにとって近づきやすく親しい、真に美しい川となりますように。
<余談>
蛇足かもしれないが:
最近再建された乾清宮前の池。
乾清宮で、大韓帝国初代皇帝高宗(コジュン。1907年に日本の意で退位させらた)の后である明成皇后(日本では閔妃(ミンピ)と呼ばれることが多いが、数ある后妃の一人ということではなく、正妻である皇后であった)が、日本人も含む乾清宮への乱入者の手で惨殺された。
今回、私が参加した「独立記念館研修ツァー」は熊本の人が中心となって企画したものだった。明成皇后暗殺事件に多くの熊本県出身者が関与した、ということで、広い広い景福宮の一番奥のこの乾清宮に何が何でも行く、とのこと。、肉体的にはハードだった。