「ダムの水が流れるのは、『清流』のイメージダウン」 |
「運動の成果」なのか? 「また騙そうとしている」のか?
5月7日に、「木曽川水系連絡導水路事業監理検討会(第2回)」が開催された。
木曽川水系連絡導水路 建設所HP 「開催結果」
この開催の発表があったのが4月30日(HP掲載は5月1日)である。
「露骨な河村たかし・新名古屋市長対策。まだ新しい態勢が整わず、市長が事情をしっかり把握しないうちに、カネの約束-合意-を固めてしまおうという魂胆。国交省の汚い手口」と思われてもしかたのない日程設定である。
「開催結果」はその日のうちにHPに載ったが、「議事要旨」は中味の何もない官僚作文(これだけ中味のない文を作るのも、一般人には難しい、「官僚作文技術」が要る)。
資料も「読みよう」によって、いろいろ受け取れる。
多分、会議後の記者会見で、であろう、 水機構は「放流によって水質に大きな変化は生じないが、環境への影響や清流のイメージダウンを心配する意見が寄せられた」と宣ったらしい。
「”ダムの水”を流すことが、”清流のイメージダウン”に繋がる」と国・ダム事業者の側が認めた(※)のは「前代未聞」「画期的」???(「ダムを造り、そのダムの水で美しい川にします!」という宣伝は、数限りなく行っている)
※ 09.05.14 追記
「『”ダムの水”を流すことが、”清流のイメージダウン”になる』と国・ダム事業者の側が認めた認めた」のではなく「そういう声もある」と紹介しただけ、なのだそうな。
「風評被害」という言葉がある。これは政府等でも使う。まず「風評」ということは「科学的に因果関係が明らかでない」事柄に使うのが普通である。そして「風評」と、売り上げ減等の「被害」の直接的因果関係を「証明」するのは難しい。個々の消費者の購買行動は「風評がなければ購入した、風評があったから購入をやめた」と言い切れるほど明確な意識の下にあるとは言い難い(その日の「気分」で衝動買いなどもする)。
「イメージダウン」も似たようなもので、「水質に大きな変化は生じない」というのが仮に科学的に科学的根拠があるとしても(私は信用していないが)、「イメージダウン」と思う人が何万人かは居る(請願署名は2万4000人ほど居るのは確か-昨年の義岐阜県議会への請願署名数-)ことで、十分に「イメージダウン」なのである。つまり「そういう声がある」と認めたこと=「イメージダウンを認めた」ことなのである。
各紙の取り上げ方を見てみよう。
☆ 岐阜新聞 09.05.08
徳山ダム導水路、長良川流出避ける案も検討
☆ 日本経済新聞 09.05.08
徳山ダム導水路事業 「長良川に放水せず」 水資源機構など 新提案を検討
日経・岐阜PDFファイル版
☆ 中日新聞 09.05.08
徳山ダム導水路 渇水時だけ放流検討 東海3県や国など合意 長良川の環境配慮
☆ 読売新聞 09.05.08
長良川への導水 新たな案検討へ 徳山ダム
090508中日・読売PDFファイル版
☆ 朝日新聞 09.05.09
徳山ダム 長良川放流に制限案 国交省など検討 「渇水時には流す」
朝日PDFファイル版
「長良川への常時放流」というのは(基本的にお上楯突かない)岐阜人にも受け入れがたい。
これを「再検討-やめさせる方向-にもっていったのは 長良川市民学習会の運動の成果である」と言う報道関係者もいる。
確かに何の声も上げなければ、「粛々と07年8月22日の合意案で本体工事にかかっていた」ことだろう。声を上げた意味はあった。
とはいえ、簡単には素直に喜べない。
そもそもどんな形であれ、新たなムダ投資と環生態系攪乱にしかならない「木曽川水系連絡導水路」は建設すべきではない。
そこまで踏み込まなくても、今回の「長良川に常時放流はしない」案を(正式に)出してきたことには、一層の疑問・疑念が膨らむ。
「長良川に常時放流はしないとしてもなお下流施設を造ろうとする、じゃ、この下流施設って何?」
「既往最大の渇水(1994年「平六渇水」)でも長良川の水は涸れなかった。数百年に1回くらいの大渇水のときに木曽川河口部のヤマトシジミを助けるために(たった4立米を)長良川から木曽川にもっていく施設? 長良川中流部をレスキューしなければいけないような異常大渇水なら(地理的にもそのまま続いている)長良川河口堰湛水域も非常に厳しいことになっているはずだから、わざわざ木曽川にもっていかないで、そのまんま長良川から伊勢湾に流せば良いではないの? そうすると何がマズイの? 『渇水対策容量/揖斐川・長良川 1300万立米』もあることだし。」
「汽水域生態系保全のためにお金をかけるなら(長良川河口堰のことはあえて横におくとしても)伊勢湾の貧酸素塊のこととか、先に手を打つべきことがいっぱいあるではないの?」
などなど。
5月7日に 、水資源機構は(事業を進めるべく)
第7回木曽川水系連絡導水路環境検討会の開催を発表している。
この「環境検討会」というものの、国交省・水機構側が今の意味は「岐阜県知事の着工OKを貰うため努力」であることは間違いない。
ゆえに「『長良川河口堰中流部取水との兼用施設案』はまだ消えていないのだ。むしろ岐阜県知事の着工OKを貰うための方便として常時放流はしない、ということにするのだろう。」「なんせ『建設』官僚さん達は、モノ(巨大人工構造物)を造ることこそが第一目的。モノを造るのが何よりも先だ-造ったもの勝ち。『具体の運用の方法は、施設がおおかた完成してから決めるものです』(=岐阜県河川課長の言。霞ヶ関からの出向)と、大っぴらに言うし」と悪く考えてしまう。
あまりのも素直に「成果」を喜んで「騙された」となるのはゴメンだ。これだけ長くこのギョーカイに首を突っ込んで、あっさり「騙された」となれば、「騙されたほうが悪い」類である。
「運動の成果」なのか? 「また騙そうとしている」のか?
多分、どちらも正解であり、どちらも誤答であろう。
この事業が二転三転する「重要なファクター」の一部は、1987年に三重県の長良川河口堰の不要な水利権を愛知県と名古屋市が「買ってやった」あたりにある(情報公開請求でオモテに残っている文書はコピーをとった)。
が、多分、それだけでは読み解けない「何か」もある … だが、まだ「あたり」がつかないから食い下がれない。悔しい。
ただ言えることは、「私たちは簡単には騙されない」と心に誓っていることである。
簡単に騙されたのでは、闘いながら(まだ成果らしい成果を見ることなく志半ばにして)亡くなった先人達に「申し訳ない」。