導水路「下流施設」がシブトク残る本当のわけ-(3) |
~ 長良川河口堰の中流部取水の企ては消えていない~(3)
(承前)
1993年には、愛知県の「何で『河口堰堰直上流』しかダメなのだ!(中流部取水を認めろ) 三重県分のことを忘れるなよ!」という恫喝(?)に対して、中部地建(当時)は、「河川管理上、堰直上流でしか認めない」と(エラソーに)撥ねつけた。
ところが、国が愛知県や名古屋市に、徳山ダムの事業費大幅増額を「お願い」することになった2003年~2004年にかけて、またぞろ古証文が出てきたのである。
2003年8月には「撤退ルール(水資源機構法施行令)も出来ていた。利水者から「撤退する」旨を通知されると、(お金の精算の問題は残るが)「撤退はダメ」とは言えないのである。
徳山ダム事業から撤退されては困る国は、「確認事項」という一札を入れることになったのだ。(この辺りは、向こうは親切に公表などはしない。シツコクシツコク根掘り葉掘り食い下がって、どういう文書がありそうかを聞き出し、情報公開にこぎつけた)
さて、全国的な運動のある中で、中部地建は1993年には『取水は河口堰直上流からしかダメ』と言ったのであろう。
しかし、お役所の論理として「今は運動がウルサイ。そのうち静かになったら言うとおりにするから、と約束した」とは口が裂けても言えないだろう。
09.01.13に、以下の情報公開請求をかけた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「建部河調第59号 平成5年8月3日」の文書中に、「記 1.今回の長良導水事業の取水位置が河口堰直上流になった理由」として「河川管理面等から詳細な検討を行った結果」とあるが、その「河川管理面等から詳細な検討を行った結果」が分かる文書
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
開示された文書は以下。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
長良川河口堰関係文書(・長良川河口堰について(平成2年10月)・長良川河口堰に関する追加調査書(平成4年3月)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
09.01.13請求への開示文書
長良川河口堰について(平成2年10月)
2.7MB
長良川河口堰に関する追加調査書(平成4年3月)
4.6MB
この文書から「長良川河口堰中流部取水は河川環境にダメージを与えない」という論拠は出てこない。何とか専門家の先生方に『中流部取水でも大丈夫』と言って欲しかったのが幻の「長良川河口堰の水利用に係る影響検討会」であったが、2007年10月29日に準備会をもったきりで消えてしまった(「専門家の先生方」が『大丈夫お墨付き』を前提とする検討会から逃げたのではないか、と想像する)。
今般、「徳山ダムの長良川への常時放流はしない」という話の風向きになってきた。
だが「(意味不明の)下流施設計画」は残り続けている。
木曽川水系連絡導水路下流施設とは、「長良川河口堰中流部取水の芽である」。
「下流施設」が造られれば、「長良川河口堰と導水路の有効利用」と称して長良川河口堰中流部取水が浮上する。
このことに、私たちは、決して忘れてはならない。
長良川河口堰の「より良い使い方」というのがあるとすれば「ゲート全開」である、それしかない。
(了)