強行軍!「ALL木曽三川(中・下流部)『問題』」見学ツァー - ② |

木曽川と長良川が背割堤で接するようになる場所の最上流側の地点(成戸(なりと))で昼食。
日射しが強かったので、治水碑の周囲の木陰が有り難かった。
国交省は、異常渇水時に木曽川・成戸地点の流量を確保することを木曽川水系連絡導水路(徳山ダム導水路)事業の必要性として前面に出している。
この議論は「おへそが茶を沸かす」ようなシロモノである。
問題なのは、実は何の科学的な根拠もなしに(「科学的・合理的な装い」さえもなしに)、1000億円近くもかける「事業」が決まっていってしまう不思議なメカニズムである・・・・単に「国交省官僚が悪い」だけではすまない。基礎自治体から国に至るまでのモロモロの「おかしさ」については、私たち(少なくとも選挙権・被選挙権を行使できる人間)は、何らかの形で責任がある、と私は思う。
この日、1枚目の集合写真。

国交省の観測所がある。左が木曽川-「木曽成戸-の観測所、右が長良川-長良成戸-の観測所(木々の向こうにちょっと見える)。お上が観測所の名に「なると」と勝手にフリガナをふった所為で成戸=「なりと」が「なると」に化けつつある。こういう在来のものへの敬意の「無さ」-無神経、傲慢-こそが、河川をダメにしてきたことを、河川管理者は肝に銘じて欲しい。


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わざわざ背割堤を乗り越して長良川から木曽川に水を引く(シミュレーションでは10年で25日間のみ-平六渇水の年だけ-しか使わない)などという、どう考えても奇異な導水路下流施設のホントのワケは、「木曽川大堰に近い地点で長良川河口堰の取水をしたい」から。

さて木曽川大堰(馬飼頭首工)。
これを利用した名古屋市と愛知県の取水口(朝日・尾西)は隣り合っているが、関連施設も含め、名古屋市が立派で愛知県は貧弱。

朝日取水口(ゴミはも魚の死体もなかった) と沈砂池。

下は愛知県の尾西取水口。掲げられた水利使用標識に記載されている水利使用許可期限はとっくにきれてしまっているじゃん。

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途中で猿尾などの伝統的水制工を見ながら、長良川を右岸に渡りなおして上流へ。
1976年の長良川決壊(安八切れ)箇所で止まって説明を受けた・・・が上手く写真にならず。
堤防の決壊原因はさまざまだが、「どの場所が切れるか」は、単に「水位が高くなったから(どの場所が切れてもおかしくないたまたま、の)」偶然ではない。一見、一つづきに同じ高さ・強度の堤防に見えても、そこが過去の「切れ所」でオッポリ(池)があったところだったり、旧河道だったりする場所がいくらでもある-決壊してみれば、「実はあの場所は・・・」という場合は多い。(過去の水害調査をすれば、予見可能性があるのに、有効な回避措置を高じなかった、という意味で河川管理責任はあるのではないかな?「想定外の豪雨による想定外の決壊」という責任逃れのようなことばっかり言っていると、河川及び洪水への理解が深化せず、本当に甚大な洪水被害を軽減して人命・財産を守る、という責務が果たせなくなってしまうよ、河川管理者さん)。
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墨俣(今は「大垣市」の飛び地!) の”一夜城”(復元でも何でもない、ときの墨俣町長などが「建てたかったから建てた」天守閣)が建てられた場所は「犀川遊水地」の脇である。ここから長良川本川に出る水門(左)と長良川本堤沿いに開削された新犀川に流す水門(右)とが見える。

新犀川は、犀川騒擾事件の後に開削された。
本巣郡南部の”悪水(水害の原因となる洪水)”を流すために、輪中を切り裂くという案に反対して住民が決起し、軍隊まで動いた「騒ぎ」があって、結局、輪中を切り裂く案は消え、長良川本川沿いに新犀川を開削することになったのだ。
blog 義烈~犀川騒擾事件と安八~
この「犀川騒擾事件の記憶」が、1976年の長良川・安八切れの被災に対して、大原告団を形成する下地になっていた、と当時代理人を務めた弁護士は言う。
それを聞けば一層「さてもにっくき大東水害訴訟最高裁判決(&それを安易に踏襲して河川管理責任者をどこどこまでも免罪する裁判所)!」の思いが募る。
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安八地内を通って、揖斐川右岸堤に移動し、またひたすら上流へ。

岡島頭首工-西濃用水管理所-は素通り、西平ダムへ。ここが徳山ダム導水路の取水口となるという。
西平ダム貯水池の縁を通って抜けられるはずの道が通行止めでアウト。「ここから先は無理、行き止まりだよ」と告げて下さり、マイクロバスの向きを変えられる場所を教えて下さった(誰も来ない)茶店のおばさん、ご親切にありがとう。
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もともと無理の多い過密日程ゆえ、徳山ダムサイトに着く時刻には、陽は傾き、ダム全体が薄暗くなってしまった。このときの水位の低さゆえの異臭(まさに「藻が腐った臭い」)には少々驚いた。
blog 哀れ!「観光放流」どころではないカラカラ徳山ダム
落陽を反射する徳山ダム湖面の写真は上記記事の中に。

この集合写真、「全員集合」していない。

もうダムサイトには陽は当たっていない、下流側の放流口のところも影に入ってしまった。気が急ぐはず・・・それでもちっとも「集合」もしないで、あちこちを熱心に見学して飽きないでいる人ばかり。いかにもこのツァーの参加者らしい。
この後、徳山会館に行ったが、そこで撮った集合写真は????
私自身はエネルギー切れ状態で、ほとんど写真も撮っていない。
参加者の平均年齢は結構高いのに、相当に強行軍な一日だった。
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この日の宿は谷汲。華厳寺門前の松本屋さんに宿泊。
見学ツァーといいながら、宿は結構豪勢で、たらふく・ゆっくり。
翌日(9月27日)のことは続きで。