強行軍!「ALL木曽三川(中・下流部)『問題』」見学ツァー - ③ |

9月27日は、前日の疲れが出て、参加者のテンションは少々下がり気味。
それでも数々の見学を敢行。
門前町に泊まったからには「西国三十三番札所」谷汲山華厳寺に知らん顔というのもなぁ・・・と本当にちょこっとお参り。
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次に根尾谷断層。1891年の岐阜県本巣郡の根尾谷を震源とするマグニチュード8.0という巨大な濃尾地震。日本の内陸部で起きた地震としては最大級の直下型地震で、水鳥(みどり)地区には、上下差6メートルにも及ぶ根尾谷断層が地表に出現した。これは国指定の特別天然記念物となっている。

このときは、時刻が早くて、展示施設(地震断層観察館)が開館前。でもって表面に出ている断層(地表のズレ・段差)を見ただが、自分の写真では「何を撮ったのか分からない」のしか撮れず。公開されている写真を拝借。
この断層と徳山ダムが直接関係するわけではないが、ダム湛水が地震を誘発する場合がある、ということは、「世界の地震学界の常識」だが、日本の国交省は(気象庁も含めて)認めようとしない。「ダムを作っていくのに都合の悪い学説は存在しないことにしておく」というのは、いくら何でも酷い。
これについては以下のblog 記事をば。
徳山ダム湛水誘発地震?? その5
(「徳山ダム湛水誘発地震?? その1~その5」もリンク)
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沈砂池にするのはこの辺か?という場所を通るときには、マイクロバス内では半分は「集中力をなくして」M事務局長の「ちょっと前までボーリングをしていたのに、その装置を撤去してしまって場所を隠そうとしている!」という怒りの解説にあまり反応せず。私は「08年8月に民主党の議員団が来たときは、中部地整のY広域水管理官が『この辺です』と堂々と案内していたけどぉ」と思ったけどボーっとして声も出さず・・・・。
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根尾川・山口頭首工。 この辺りで、「揖斐川の渇水対策容量」分を流すのだそうだ。

上の写真は山口頭首工から取水した水が入ってきているところ。ここから真桑用水と席田(むしろだ)用水に分かれる。真桑用水・席田用水は本当に水が足りないのか?(※)
この日は両用水に滔々と取水してなお、根尾川は豊かに流れていた(揖斐川本川のほうは少なめ。揖斐川基準地点・万石の正常流量を大きくしすぎた所為か、あの巨大な徳山ダムが「秋の観光放流」が不可能なほどに水位を下げてしまった)。


※ 「水田面積は大幅に減っているのに、木曽川から取る農業用水が1滴たりとも減らさない、だから都市用水はダムの水を、というのはいかがか、もう少し工夫はないのか」というようなことを言うと猛然と反発される。
先日、こんな意見を聞いた。
「農業用水は渇水のときは、垂れ流しできないので付きっきりで調整が必要です。今の時代、付きっきりで調整できる人などいません。結局、余ってないのです。」
見事に「逆転の論理」である。「日照りに不作なし」と言われるように、「付きっきりで調整」すれば、基本的には渇水による稲作被害は防げる(時期や場所にもよる、ということは事実だが)。「今の時代、付きっきりで調整できる人などいません」・・・そういう農業に誰がした?
工業製品を輸出することを最優先とし(それは農山村の人的資源を都市へと収奪することでもあった)、農業を軽視・破壊した「国家的政策」で、「付きっきりで調整できる」農業の担い手がいなくなってしまった。その「工業-都市優先」政策を見直すことこそ、今必要なことのだ。「付きっきりで調整できる」農業の担い手がいれば「既往最大渇水-平六渇水-」のようなときに、農業用水を水道水に回すことも可能なはずだ(濃尾平野では本当の日照りに備える水田用の井戸が今でも残っている。井戸水は冷たいという問題があるが、平六渇水のような猛暑の渇水には、こうした井戸を利用する方策もある)。
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いよいよ長良川へ。
岐阜の街中を流れる長良川の堤防・護岸は、その時代の「技術の粋」を集めた。
横書きながら右から「岐阜特種堤」と書いてある・・・時代を感じさせる。

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長良橋近くの川原町へ。今ここは「風情ある街並み」復活で観光スポットになりつつある。
堤外地(河川とされる場所)にデンと街がある。ここは出水で長良橋閘門が閉められれば、川の側に取り残される。そういうときでも「誰も避難などしない」そうだ。

川と共に暮らす、ということは、洪水と付き合うことでもある。
写真はこの川原町のメイン通りからちょっと入った路地。風情がある。
(この路地で、ここに住まう行政側の人にバッタリと出くわした・・・というか、向こうから「近藤さんでしょ?」と声をかけられた。私は行政側の人にそんなに嫌われていない(ホント?))
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長良橋付近から長良川右岸を遡って、徳山ダムからの「緊急水」放流予定地点の古津へ。
ここは御料場(皇室用の鵜飼場)でもある。畏れ多くも(?)こんな場所にダムの水を流して良いのかしら?

伝統漁法せぶり漁の仕掛け付近で遊ぶ人たち。9月ともなればさすがに泳ぐ人はいないが、川に足を入れて遊ぶ人は、ほぼ1年を通している。
私たちもこの河原でおにぎりの昼食。
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各務原市にある川上貞奴が建立した成田山貞照寺。
夫・川上音二郎の没後、木曽川の「河川開発(=ダムづくり)」をしまくった福沢桃介と仲良くなり、ダム建設事業に協力した・・・・うううむむむ。
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坂祝町の徳山ダム導水路・木曽川放流予定地点。

日本ラインの船下りの行われている場所。「環境レポート(案)」でも、ここの景観に影響がある、と記載されている。
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ツァーの最後は犬山頭首工。
ここから大量の水が、名古屋市へ、愛知県の都市へと取水されている。
しかし「大量」といっても都市用水は「しれている」(ここでの取水は20m3/S弱)。
農業用水は約50m3/Sもの自流の水をここから取水する権利をもっている。
<この稿終了>
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私は金木犀が好きだ。しかしウチの金木犀はナサケナイ。
