1996年10月10日「徳山ダム 建設省との対話」 |
「河川行政には広く住民参加が必要だ」・・・このタテマエには河川官僚さん達の誰もが反対しない(相当に時代錯誤的感覚の御仁も含め)。だが、実際の運用となると、「河川管理者が決める!(河川管理者が選任する「学識者」の意見を聴く形にするが)」というのが相変わらず幅をきかしているようである。
・・・・この困った性向は単に官僚「だけ」の問題でもないらしい。
1995年に建設省が、全国13箇所で設置した「ダム等審議委員会」は、「中止も含めて見直す」とし、「透明性・公開性を高めて議論する」ことで(後に河川法16条の2第3項・第4項に盛り込まれたような)「住民参加」を担保するための実験的・試行的なものという位置づけであった「はず」だ。
しかし「ダム等審議委員会」の多くは「密室でさっさと建設推進を決める(=「反対派につけいる隙を与えてなるものか!)」類で、試行とすらいえないものが多かった。
そうした中での徳山ダム建設事業審議委員会。
結論は「ダム建設推進」が見えていたとはいえ、河川官僚のそれなりの「努力」については、私は評価している。
その努力の一端が、大垣市スイトピアセンターで開かれた「建設省その対話」(徳山ダム建設中止を求める会 主催)への参加であろう。
建設省中部地建・水資源公団徳山ダム建設所の何人かが出席してくれた。
(今でも「反対派」団体の主催する催しには国交省も水機構もなかなか出ては来ない。しかし「やれば出来る」のである、後述するようにたった2回で打ち切られてしまって、議論が噛み合うに至らなかったが、対話-話し合いが成立しない、という雰囲気ではなかったことは確かだ)。
1996年10月10日の「第1回」。会場のスイトピアセンターの前に出した手画きの立て看板。

スイトピアセンターの貸出許可取消という事態を受けて、岐阜地裁に仮処分を申し立て、10月5日に仮処分決定が確定してこの部屋を使うことができた。
blog 憲法!1996年大垣市スイトピアセンター使用出許可取消処分の執行停止申立事件
http://tokuyamad.exblog.jp/10144308/
冒頭に挨拶する上田武夫代表。

中部地建・水公団側の説明の様子。当時としては先進的なこの装置を使った。

翌日の新聞記事。

この日(1996.10.10)に、「名古屋市の徳山ダムの水半分返上」の報道があり、ちょっとした「騒ぎ」になっていた(11月に開かれた次回の徳山ダム審で、他のメンバーが「寝耳に水だ!」と名古屋市に怒りをぶつけていた・・・しかし名古屋市のこうした意向は、すでに6月くらいには私の耳にも入っていた。徳山ダム審の他のメンバー-学識者・自治体首長や地方議員-の情報収集能力は極めて低い、ということなのだろう)。

今話題の(あまり評判の良くない) 「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の事務方の責任者(河川計画課河川計画調整室長)を務める泊宏氏は、当時、建設省中部地建河川部河川計画課長。徳山ダム審でもほとんど一人で説明役をこなしていたが、この「建設省との対話」でも大いに積極的役割を果たしてくれた(誤解のなきよう余分な注釈:「徳山ダムは必要だ」論を展開した、という意味。まさに「役割」なのだから・・・)。
blog:続・続 「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の怪 2009-12-04
http://tokuyamad.exblog.jp/12433769/
「泊 宏様へ 2009.11.30」
blog:続 「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の怪 2009-11-25
http://tokuyamad.exblog.jp/12381990/
blog:「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の怪 2009-11-25
http://tokuyamad.exblog.jp/12376492/
「建設省との対話」は、不定期ながら継続を前提に始められたものだった(1回や2回で対話が成り立つはずがない!)。しかし1997年2月 日の第2回をもって、一方的に打ち切られてしまった(確約ではないが1997年6月8日に第3回を、という了解はあったのに)。
1997年2月7日に徳山ダム審の「早期完成」意見を受けた建設省の方針、ということらしい。
何度も交渉したが、第3回(以降)を蹴る「理由」は、およそ説得力のないものであった。
建設省全体として「透明性・公開性を高める実験・試行の第1幕の幕は下りた(だから、もう「対話」だのなんだのはやらない)」ということだったのだろう。
間もなく泊氏が本省に戻り、中部地建河川部に「特定プロジェクト室」というものが設置された。「徳山ダム事業推進のための部署」。
1997年から1998年にかけて、徳山ダム予定地・礒谷(いそんだに)における河川法24条の運用を巡って(*)、こことシツコイ一戦を交えて、基本的に「勝利」したのだが、そのことはまた別の機会に。
*もちろん、主要な問題は個別「徳山ダム予定地・礒谷(いそんだに)における河川法24条の運用を巡って」の一戦ではない。「『透明性・公開性を高める』を、正面から否定されては、引き下がりようがない」ということ。
(幼いときからずっとそうなのだけど:基本的に「強い」立場からケンカを売られたら引き下がらない、徹底的に「「売られたケンカは買う」)