徳山ダム建設事業審議委員会「意見」と導水路裁判 |
徳山ダム建設事業審議委員会は、1997年2月に「早期建設」意見を出して終了した。この「意見」を載せたパンフレット(1997年8月)の表紙が右のもの。
このパンフの「意見」部分のPDFファイル。
「透明性・公開性を高めるというお試し」の幕は下り、「徳山ダム 建設省との対話」も打ち切られたことは[2010-02-26 ]の記事に書いた。
このときの「意見」が、今、亡霊のように立ち現れている。
徳山ダム導水路(木曽川水系連絡導水路)というのは、「徳山ダムができちゃったから(その水が使えるようにする)」というだけしか「理由」のないシロモノである。
「要らないものは要らない!こんなものにお金を出すな!」と愛知県民が住民訴訟を提訴している。(公金支出差止訴訟)
導水路はいらない!愛知の会
http://www.geocities.jp/dousuiroaichi/
被告・愛知県の準備書面(2)は、「(事業実施計画策定に至る)手続きは適正に行われた」論に終始している(「だから支出も正当だ」という主張にしていくということだろう)。原告側は手続き的瑕疵を主張したいわけではないので、概ねは反論もないのだが、看過できない部分もある。
徳山ダム審の「意見」を引いて、(導水路事業の治水分-渇水対策-は)正当だ、妥当だ、と根拠づけようとしている部分である。
上記「意見」の中では、名古屋市の3m3/秒返上の分を渇水対策容量にする、とし、節水や雨水利用と併記している(2ページ目 「2 利水」)・・・つまりはこの名古屋市の返上分を振り替えた渇水対策容量は「都市用水の渇水対策にする」と述べているのだ。
ところが、「木曽川水系連絡導水路に関する事業実施計画」
http://www.water.go.jp/chubu/kisodo/PDF/d.jissikeikaku.pdf
では、渇水対策容量は河川環境改善(流水の正常な機能の維持)に充てる、と明記している。つまり治水分として税金を投入するのだ。
この事業実施計画を基に質問すれば、国交省(中部地整河川部)は、「計画上は、異常渇水時に流される緊急水は一滴たりとも、水道水に回すことはできない」と明言する。
だが、国交省(中部地整河川部)常に「異常渇水時に断水が避けられる」ような説明をしてきたし、岐阜県も愛知県も「国の説明だ」として「異常渇水時に断水が避けられる」という。
ご都合主義的二枚舌である。
私は、拙著「徳山ダム導水路はいらない!」の中で、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
徳山ダムの本体着工が近づいた一九九七年、名古屋市水道は負担に耐えられないと毎秒三立方メートルの水利権を返上しました。毎秒一立方メートルで約二〇万人分の水道が賄えますから毎秒三立方メートルはとても大きな返上です。この要らない水を引き受ける自治体はありません。国はこれを「渇水対策容量」という、利水か治水かが曖昧な玉虫色の分に振り替えて本体着工に踏み切りました。 (第1章 p38)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
名古屋市が返上した三・〇立方メートルは、「何となく」渇水対策容量となってしまいました。
「何となく」と表現したのは、これが利水なのか治水なのかも、はっきりさせずに「渇水のときに使える水はありがたい」みたいな話にしてしまったからです(→第4章を参照)。
「利水」は、水道事業や工業用水道事業に使うもので、受益者負担の原則が働き、まずは水道(工業用水道)事業者が、そして最終的にはユーザーが負担します。「治水」(この場合は「流水の正常な機能の維持」)は、まるまる税金で賄う(ただし三〇パーセントは「直轄負担金」で地元県が負担します)。両者は、使い方も負担者も異なります。
良くも悪くも、この壁というか原則的ルールを「何となく」取り外してしまいました。
原則が外されてしまったのですから、あとは「何でもあり」の世界です。これが「徳山ダムに係る導水路事業」の訳のわからないややこしさの、いわば始まりです。(第5章 p134~135)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうも、この導水路裁判の被告・愛知県は、「訳のわからないややこしさ」のドツボに嵌って、自らの主張が整合性を欠くことに気づいていないらしい。
自分たちで訳がわからなくなるような屁理屈をこくしかないような事業に膨大な公金を投入している余裕はないはずだ。