市民による「豊かな海づくり大会」-2 |
私たちの『市民による「豊かな海づくり大会」』前日に、菅直人氏が内閣総理大臣の指名を受けた。急遽、要請アピールを準備し、第1日目(6月5日)の屋内でのプログラム(午前の講演会、午後のシンポジウム)の最後に参加者一同で採択した。
夜に首相官邸にファクスした。まだ、この時点も官邸の主は前首相だが、紙くずカゴ行きということはないだろう。
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要請アピール PDFファイル版はこちら
~ 菅直人・新首相、速やかに長良川河口堰の試験開放を! ~
菅 直人 様
第94代内閣総理大臣に指名されたことを、衷心よりお慶び申し上げます。
私たちは、6月12日-13日に岐阜県が主催する「全国豊かな海づくり大会~ぎふ長良川大会~」の開催にあわせ、そのテーマである”清流がつなぐ未来の海づくり”を、より実のあるものとしたいと願い、本日、岐阜市の長良川河畔に集いました。
長良川河口堰の本格運用から15年。長良川河口堰によるさまざまな「問題」は、一層深刻さを増しています。厳しい不漁に苦しむ漁業関係者の方々が、ついに河口堰のゲートの試験開放を求める陳情書を出す、その決意の重さを、私たちは厳粛に受けとめています。
さらに、この長良川に徳山ダムの水を流すという木曽川水系連絡導水路計画が存在しています。昨年の政権交代で「凍結」とされながら、なお今年度にも5億円の予算がつき、事業は止まっていません。これ以上長良川を痛めつけるのはたまりません。私たちの長良川は「毎秒○○立方メートルの水を流すため」の用水路ではありません。導水路は要りません。
菅直人さん、あなたは一貫して長良川河口堰建設に反対されました。本格運用後も「ゲートを開放すべき」と示唆されました。決して一時的なパフォーマンスとしてではなく、真剣に長良川の未来を考えて下さっている、と、いつも心強く思ってきました。
新聞各紙の報道にもあるように、長良川河口堰の試験開放を求める声は、この地域の広範な声となってきています。岐阜市長も、中部財界の人も、河口堰ゲートの試験開放に前向きです。
木曽川水系連絡導水路についても、多くの関係住民が疑問を抱き、名古屋市長は「事業から撤退したい」と述べています。
この秋には、生物多様性COP10が名古屋で開催され、この地域に世界の耳目が集まります。長良川河口堰という人工構造物で、川全体の生態系が危機に瀕している長良川。その河口堰のゲート開放を決断することは、日本の環境行政-公共事業政策を新しい時代に即したものへ転換していこうとする新政権の姿勢を、世界に向けて伝える確実なメッセージとなります。
菅直人さん、一刻も早く長良川河口堰の試験開放の道筋をつけて下さい。導水路事業はきっぱりと中止にして下さい。
難問山積でご多忙なことと存じます。
でも、あなたなら、長良川のことを忘れず、私たちの声に応えてくださると信じています。
あなたの首相としてのリーダーシップに心から期待します。
2010年6月5日
市民による”豊かな海づくり大会”参加者一同
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菅直人氏は、長良川河口堰が出来る前も、運用を開始した後も何度も長良川河口堰の現場に足を運んだ。
そこには、忘れてはならないキーパーソンが居た。長良川河口堰反対運動に半生を捧げた故・村瀬惣一さんである。彼は岐阜県の社会党を支え続けて来た人である。彼は「マルクス主義は間違いだ」との立場で、江田三郎の構造改革派に連なっていた。社会党内部の激しい対立の中で、ついに多数派から除名されるに至り、1977年の社会民主連合結成に参加した。菅直人氏とは社民連結成時からの「盟友」である。
もし村瀬惣一さんが生きていらしたら、菅直人氏が内閣総理大臣になることをどんな思いで受けとられたことだろうか。村瀬さんは、いつも「我々の闘いは百戦して九十九敗。最後の一勝を目指して進むのだ」とおっしゃっていらした。
長良川河口堰の運動は、1960年代に「長良川河口ダム」構想が浮上したときから、ずっと存在し続けた--運動の主体はさまざまでそれぞれ消長があった。
いわゆる大衆運動としての形が見えず、ほとんど「建設差し止め訴訟」しかなくなってしまったような時期もあった。そんな時期も村瀬惣一さんと在間正史弁護士の名コンビを、ずっと陰でサポートし続けていた奥ゆかしいTMさんが、こんな感想をメールしてきた。
【菅さんが総理大臣!村瀬さんが生きていたら、と感無量です】
私自身は、長良川河口堰反対運動には関わっていないので、河口堰を巡る村瀬惣一さんの苦闘は伝聞でしか知らない。
長良川河口堰が本格運用に入ってしまった1995年。その年の12月25日に、大垣市在住の4名で、「徳山ダム建設中止を求める会」を結成した。
村瀬惣一さんは、「木曽川水系の”続き”の問題(=木曽川水系水資源開発基本計画に位置づけられ、水資源開発公団(現・水資源機構)が事業主体となる水源開発施設建設事業)」として、結成直後に駆け付けて下さり、豊富な知識を伝授して下さった。
その後間もなくガンを手術された。病と闘いながらも、ずっと徳山ダム裁判や会の運営委員会に出席して下さった。
源流から海まで(海から源流まで)繋がっている川のように、連綿と「運動」の流れもあった。複雑な紆余曲折があり、関わった一人一人にとっては時に大きな挫折もあった。
・・・でも長良川を愛し続けてきた人の思いは、今、日の当たる場所へと動き出しつつある。
2万6600人超の原告で提訴された「マンモス訴訟」(1973年12月25日提訴)。
その取り下げ(1979年9月がエポック)と、その後の漁業関係者の葛藤・苦しみを思う時(※)、私は「漁民の声」を第一に受けとめて、長良川河口堰の試験開放に着手して欲しいと願っている(もちろん一般市民の声を無視して良いということではない)。
長良川河口堰開放への曙光は見えてきた。さらに前に進もう。
<参照> blog
長良川の不漁と漁民の河口堰開放要求
http://tokuyamad.exblog.jp/13784396/
http://tokuyamad.exblog.jp/13791722/
http://tokuyamad.exblog.jp/13805453/
長良川の不漁と漁民の河口堰開放要求 再び
http://tokuyamad.exblog.jp/13886263/