長野県王滝村での生命流域シンポに参加しました |

http://www.cbdnet.jp/
-「生命流域シンポジウムin 王滝村」
http://www.cbdnet.jp/archives/1742/
「そもそも」はCBD市民ネット生命流域作業部会の部会長代行になってしまった大沼淳一さんから「もし人が集まらないと大変だからエントリーして」と言われて、「ちょうど日程が空いている。行ってみたい場所だし、COP10も知らん顔できないし・・・」と観光気分・お客さん気分で参加しました。
シンポの中身等は、私は報告の任にありません(ヘンなことを書いて迷惑をかけるといけないし、そのうちに上記のHPに載るでしょう。)
とりあえず、ウェブにあった新聞記事は
中日新聞 2010年7月18日
木曽川の環境を議論 長野・王滝、生命流域シンポ開幕 http://www.chunichi.co.jp/article/feature/cop10/list/201007/CK2010071802000156.html
名古屋市で10月に開かれる生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向け、木曽川上流の環境を考える「生命流域シンポジウムin王滝村」(CBD市民ネットワーク主催)が17日、2日間の日程で長野県王滝村で始まった。愛知県を中心に150人が参加し、流域の交流などを探った。
初日夜は、柳川喜郎・元岐阜県御嵩町長と河村たかし・名古屋市長が対談。柳川元町長は「濃尾平野を養ったのは木曽川と言ってもいい。恩恵を受ける下流域でもっと川の大切さを感じてほしい」と指摘。河村市長は「王滝村、御岳山について名古屋でもっと語るようにならないといけない」などと話した。
18日は、柳川元町長の基調講演があるほか、瀬戸普王滝村長、渡辺泰・名古屋水道労組委員長らが「上流域再生プラン」をテーマに公開討論をする。林業再生や水源基金などを主題とした5分科会も開く。
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16日までの雨が嘘のように17日は晴れました。
しかし木曽川に合流する可児川の氾濫で車が押し流された方は、この時点で発見されていませんでした。八百津の土砂災害で犠牲者が出るような痛ましいこともありました。
亡くなられた方には衷心から哀悼の意を表します。
これの災害も「徳山ダムによって重症化した岐阜県河川課の金欠病」と無縁ではないと思っています。
blog参照
「命」の沙汰も金次第? 嗚呼 徳山ダム
http://tokuyamad.exblog.jp/14074558/
大雨の所為で牧尾ダムは満水位を超え、「滅多に見られない洪水吐きからの放流がご覧頂けます」ということになりました。翌18日夕方にはこの洪水吐きからの放流は止めていましたから「滅多に見られない」ものを見たには違いありません。


これで15m3/Sだそうです。
1961年に完成した牧尾ダムで、王滝村の最も平坦で農耕に適した土地は水没し、百二十数戸の方々が移転を余儀なくされました。このダムを水源としてできた愛知用水の農業用水の供給先である知多半島に移転して農業を始められた方も居られるとか。「ふるさとの水で農作物を作る」。そして王滝村は、村外に移転された方との連絡を長い間絶やさずに来たそうです。「一村丸ごと消えてしまった」徳山村の悲劇性が際だちます。
翌18日の朝は快晴で、御岳がくっきりと見えました。
手前の白い建物が、今回のpシンポの会場として使わせて貰った建物です。

名古屋市民 おんたけ休暇村
http://www.ontake-kyukamura.net/
いろいろあったけど、今般、名古屋市が残すことになりました。68haというのは水源林として余りに小さいですが、「上流水源域と下流大都市との具体的な接点」という意味では「残って良かった」と思っています。
(大都市の人々よ!「水」はダムから生まれて来るわけではありません。水源域の森を残す、中山間地の棚田を残す、等に対して、自覚的・意識的に「負担」すべきです)
お昼にはもう御岳に雲がかかってしまっていました。
全員は揃っていない集合写真は、麓を見下ろす方向で。

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18日夕方の牧尾ダム。