姫野雅義さんを悼む-大垣にいらしたときのこと- |
前の稿で
【(私が招いたのではないが)、2000年に、姫野さんが大垣にいらしたこともあった。】
と書いた。
(この頃は、私は「西濃憲法集会」の当日にだけ参加する一参加者にすぎなかった。今は、毎年の西濃憲法集会実行委員会の振込先名義が私=近藤ゆり子になっている)
第6回「平和・人権・民主主義を考える西濃憲法集会」のメインゲストに招かれたのだ。
2000年(第6回)
「憲法を生かすも殺すも私たち…」
―吉野川住民投票に学ぶ―
吉野川住民投票の会代表世話人
姫野雅義さん(徳島市在住)
このときのチラシのPDFファイル版(2ページ)
西濃憲法集会のあゆみ
http://homepage2.nifty.com/SeinoLawOffice/kennpou%20ayumi.htm
2000年5月3日、大垣市総合社会福祉会館ホールにて。
この取り組みを中心的に担われたFさんからのメールを2つ紹介する。
それは、姫野さんへのレクイエムであり、同時に、川のことに限らず、あらゆる分野で、「今」私たちが直面している課題そのものだから。
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Fです。
ほんとに残念でなりません。
ちょうど10年前、まだ若かった私は、「吉野川第十堰」をみるべく、Gさんらと仕事が終わった午後6時過ぎから、車で徳島をめざしました。
美しい神戸などの夜景をみつつ、例のごとく迷子になりつつ、11時を過ぎて夜のあやしい盛り場で一泊し、翌日姫野さんの事務所を訪ねました。
いろいろパワフルに語る姫野さんに、小さい身体にみなぎる情熱を感じました。
吉野川「第十堰」は、うわさにたがわず、ステキな「青石」を敷き詰めた水底が見える幅広い河口で、こんなところに「長良川河口堰」のような計画をするのは、川を愛する地元の人々にとって許せないことと思いました。
憲法集会での姫野さんのお話の中で、印象に残っているのは、「いわゆる活動家は、全面に出るのをいかにがまんして、市民や若い人が生き生きと活動できるバックアップができるかが運動が成功する秘訣です」という締めくくりでした。
さまざまな運動を進める活動家たちに、チクリと釘をさす姫野さんの多くの経験が、あのすごい住民投票を成功させた秘訣なんだと思いました。
本当に残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。
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再度、Fです。
写真を添付し忘れました。
私のやせていた姿はともかく、この憲法集会のテーマは「憲法を生かすも殺すも・・・私たち」でした。
「殺す」という衝撃的な言葉を使うかどうか、大議論したのを記憶しています。
このころから、「憲法は絵に描いた餅ではなく、生かすのは私たちの不断の努力」「議会制民主主義がすべて正しいわけではない。直接民主主義が必要なとき、私たちはどう運動をし、市民に理解を得ていくのか」という立場が鮮明になってきたのだと思います。
それは、9条もしかり、貧困問題もしかり。
主権は国民にあるのだから。
憲法集会の大きな転換期になった企画でした。
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私は、日本国憲法第12条前段が好きで、よく引用する。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
そして
「いわゆる活動家は、全面に出るのをいかにがまんして、市民や若い人が生き生きと活動できるバックアップができるかが運動が成功する秘訣です」。
そうなのです。分かってはいるけど「できていない」。
そこのポイントを、改めて姫野さんの口からお聞きしたかった。
前のブログを読んで下さった関西のI先生からのメールの返信に、私は次のようなことを書いた。
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I様
ブログにも書いたように、長良川流域で「今度こそ流域住民の多数の支持が得られる運動を作ろう」としているときであり、まさに「河口堰の閘門をくぐる船上」か「焼きハマグリを食べながら」か、姫野さんにそのキモの部分のヒントを貰いたい、とすごく期待し、楽しみにしていたところでした。
少数であっても先駆的であった故・村瀬惣一さんや、在間正史弁護士の闘いを、決して過小評価していません。
たとえ孤軍奮闘のような状態になろうとも、決して諦めることのなかったこうした先進的な闘いが、今の局面を切り開いてきたのです。
そして私自身は「連帯を求めて孤立を恐れず」のクチでしたから、「少数で突っ込め!」「一人になっても最後まで闘うぞ!」のほうが、性に合っている、というか一種ラクです。
でも水害は「人の命」の問題です。治水施策を(同時に生物多様性の保持を)一つ一つ実現していかねばなりません。流域住民のコンセンサスがなくては「総合治水」は進められません。
多くの人に「河道にすべての洪水を押し込めるのは無理。洪水を『シェア』しよう」と分かって貰うにはどうするか。
多数派形成は、ナマの私では「不得意、分からない」。だからこそ、本当にお知恵を借りたかったのです。
きっと「それは、自分たちの頭で考えろ」という天の声なのでしょう。
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