北海道ダメ・ダム見学珍道中-6 |
-沙流川・二風谷 (1)-
もともと「沙流川-二風谷ダム-平取ダム予定地」をみることは、このツァーのメインの一つだった。
しかし、いろいろな意味で出発直前まで全員が忙しすぎ、「いきあたりばったり」しか考えられない状態だった。
が、「4」で触れたように、岡山の「緑・川・人フォーラム」の準備の良い方々に合流して(便乗して、というべきか)、貝澤耕一さんにご案内頂けることになった。
大夕張ダムから二風谷ダムまで、どれだけの時間がかかるかも分からない中で(頼りないナビさんのおっしゃることは当てにできないし)、ほとんど時間差なしに二風谷ダムの駐車場で合流できたのは僥倖。

駐車場からダムサイトへ。
左岸側から下流側を見る。
「落差」もない。
「15m」基準よりは落差がある、というにすぎない(堤高32.0m)。
ちなみに堤頂長は550.0m。
堤高と堤頂長「だけ」でモノは言えないとは一応は知っていても、これら数字を聞いただけで直感的に「落第ダム」だと感じる。
(パンフの中の「治水計画」や、「二風谷ダム諸元」を見ると、ますます「落第ダム」と確信するのだが)
下流からみれば、特に山が迫って川幅が小さくなっているわけでもない開けた場所に、いきなり低い堰堤があって、上流側は堆砂で埋まっている。

当別ダムでも同様だったので、北海道では「ありふれたダム風景」なのかもしれないが、中部地方でも他のいくつかの地方のダム(ダム予定地)でも、「こんなのは知らない」。
私の「ダム」の常識が、北海道で覆された。いやはや・・・(そういえば小豆島の内海ダムは「非常識」)。
北海道”開発”局は、一つ一つのダムの情報を自慢げにHPには載せないらしい。
HPのURLが紹介できないので、パンフ(H19.11月作成)の表紙を載せる(載せてあげる、というべきか)。写真は右岸側からのもの。
今や、中部地整などでは、ほとんど殆ど見かけなくなった「立派なカラー印刷の紙媒体パンフ」がこれである (事前に室蘭開発建設部から送付して貰った。こういうときにはしっかり税金の恩恵(?)にあずかっておくことにしている)。
うううむむむ・・・この立派な印刷物は「匂う」、OBが絡んだとても高価なものなのではないかな?
パンフを開いたところの一部(見開きA3版はスキャナできないので)。

これは水量が多いときの写真で、何日か雨が続いた後のこの日さえ上流側は堆砂が激しいことが見てとれた。好天が続くと「砂漠のごとし」だ、下流の富川地区の方はおっしゃっていた(後述)。
◇ ◇
またウィキから引用する(「5」でも若干ふれたが、ウィキの記述のすべてが正しい、とは考えていない。学生諸君!ウィキの記述「だけ」でレポートを書くなかれ! ただ概略・要約としては使いやすく、また「フリ-」であるので引用しやすいことは認める)。
= = = = 引用開始= = = =
二風谷ダム
<沿革>
(略 ・・・赤石ダム計画が占冠村が村を挙げて反対した結果1961年(昭和36年)に計画は白紙撤回された、という記述の続き・・・)
苫小牧市に大規模な工業地帯を建設して北海道経済の起爆剤とすべく苫小牧東部開発計画が立案され、その根幹事業として苫小牧東部工業地帯(苫東)の建設が計画された。このため再び工業用水の供給が課題となった。
そこで北海道開発局は水源を日高地方の河川に求めたが、鵡川はダム計画が放棄され建設は不可能、新冠川は北海道電力によって新冠ダムが既に建設中、静内川は北海道と北海道電力の共同事業による高見ダムが計画されており、残った沙流川に開発の手を伸ばすことになった。1973年(昭和48年)、北海道開発局は沙流川の本流と支流の額平川(ぬかびらがわ)に二基の多目的ダムを建設して、沙流川の治水と流域町村および苫小牧東部工業地帯への利水、そして日高電源一貫開発計画の一翼を担う水力発電を目的に「沙流川総合開発事業」を発表。二風谷ダム(沙流川)と平取ダム(額平川述)の二ダム一事業として計画をスタートさせた。
<アイヌ民族の闘い>
しかし、ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきた。チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとして当地はアイヌ文化が伝承される重要な土地であった。このため計画発表と同時に地元のみならず道内のアイヌから強い反対運動が起こった。水没戸数は9戸と少なかったが水没農地が水没面積の半分を占め、うち競走馬の牧場が二箇所あったことも補償交渉を長期化させた。水没予定地の関係者に対する補償交渉は9年を費やし、1984年(昭和59年)には補償交渉が妥結。平取町もダム建設に同意し翌1985年(昭和60年)には水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定されて生活再建への国庫補助などが行われた。
しかしアイヌ関係者のうち萱野茂と貝澤正の両名はアイヌ文化を守るため頑強にダム建設に反対。所有する土地に対する補償交渉に一切応じず補償金の受け取りも拒否した。このため北海道開発局は両名への説得を断念し土地収用法に基づき1987年(昭和62年)に強制収用に着手した。これに対し両名は強制収用を不服として1989年(平成元年)に収用差し止めを事業者である建設大臣に求めたが1993年(平成5年)4月にこれは棄却された。請求棄却に反発した両名は翌月土地収用を行う北海道収用委員会を相手に札幌地方裁判所へ行政訴訟を起こした。いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」である。両名とその弁護団はダム建設の差し止めを求めたが、真の目的はアイヌ民族の現状を広く一般に認知させ、アイヌ文化を国家が保護・育成させることであった。この間萱野は日本社会党の参議院議員(比例代表区)として国政にも参与している。
この裁判には事業主体である国も補助参加しているが、アイヌ民族を先住民族とするかどうかの認否はこの裁判では不要であると主張した。ダム自体は本体工事に着手していたが建設省は萱野らアイヌ関係者の意見を容れて1996年(平成8年)にはダムに試験的に貯水を行って異常が無いか確認する試験湛水(たんすい)終了後、全ての貯水を放流するという異例の操作を行い、アイヌの伝統行事であるチプサンケを湖底で執り行うようにした。翌1997年(平成9年)に二風谷ダムの建設は完了し二風谷地区は水没したが裁判は継続され、同年3月27日に二風谷ダム建設の是非について札幌地裁は判決を下した。この中で札幌地裁は土地の権利取得裁決の取消しなどを求めた原告側の訴えをいずれも棄却したが、「工事のための土地取得などはアイヌ民族の文化保護などをなおざりにして収用を行ったことにより、土地収用法第20条3号の裁量権を逸脱している」として収用は違法である判断した。その上で既にされた収用裁決を取り消すことが「公の利益に著しい障害を生じる」として判決には違法を明記するものの、原告の請求を棄却した(行政事件訴訟法第31条による事情判決)。また、アイヌ民族を国の機関としては初めて先住民族として認めた。基本的には原告敗訴であるが裁判費用は国と北海道収用委員会が負担することとなった。
被告である北海道収用委員会と事業主体である国は控訴を行わず、判決は確定する。この判決はアイヌ民族を先住民族として認めた画期的なものであり、7月には政府が差別的法律として悪名高かった北海道旧土人保護法を廃止し、アイヌ文化保護を目的としたアイヌ文化振興法が成立。アイヌ民族長年の悲願が実現した。同時にアイヌ文化振興・研究機構が発足し、萱野が1991年(平成3年)に立てた二風谷アイヌ文化博物館を水源地域対策特別措置法の国庫補助対象としてアイヌ文化・アイヌ語伝承や文化財保護の拠点として拡充させた。建設省はさらにアイヌ関係者との間で既に合意していたチプサンケの代替地を8月に完成させ、これと連動する形で二風谷湖水祭りが同時開催されてアイヌ文化に触れ合う機会を整備した。
こうして二風谷ダムは1997年10月、計画発表から24年の歳月を費やし完成。翌1998年(平成10年)4月より運用を開始した。アイヌ文化の保護育成事業はダム完成後も続けられ、同年10月には沙流川博物館が開館し現在は二風谷アイヌ文化博物館と共にアイヌ文化保護の拠点となっている。このダム事業では先住民族の認知および文化保護という公共事業では未だかつて無い問題を提起し、蜂の巣城紛争と共にダム補償において特筆される事件となった。ダム建設が契機となってアイヌ民族の悲願が成就したが、萱野・貝澤を始めとしたアイヌ関係者や二風谷ダム建設関係者の血のにじむような苦労がこの陰には潜んでいる。
= = = = 引用終わり= = = =
◇ ◇
私の認識では、この「事情判決」という仕儀になった二風谷ダム裁判は「差し止め訴訟」ではなく「権利取得裁決等取消訴訟」であった。
札幌地裁の判決は1997年3月27日に出され、そのまま確定している。
判決全文の載っているURL
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/5596/
主文と要旨を引用する。
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二風谷ダム裁判判決文
判決
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主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
ただし、沙流川総合開発事業に係る一級河川沙流川水系二風谷ダム建設工事に関する権利取得裁決の申請及び明渡判決の申立てに対して、被告が平成元年二月三日付けでした権利取得裁決及び明渡裁決のうち、別紙物件目録一ないし四記載の各土地に係る部分はいず
れも違法である。
二 訴訟費用のうち、参加によって生じた分は参加人の負担、その余は被告の負担とする。
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<判決理由の骨子>
1 土地収用法に基づく収用裁決の取消訴訟において、先行処分である事業認定の違法性を争い得る。その場合の判断基準時は事業認定時であると解される。
2 国は、先住少数民族であるアイヌ民族独自の文化に最大限の配慮をなさなければならないのに、二風谷ダム建設により得られる洪水調節等の公共の利益がこれによって失われるアイヌ民族の文化享有権などの価値に優越するかどうかを判断するために必要な調査等を怠り、本来最も重視すべき諸価値を不当に軽視ないし無視して、本件事業認定をなしたのであるから、右認定処分は違法であり、その違法は本件収用裁決に承継される。
3 しかし、既に二風合ダム本体が完成し湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことは公共の福祉に適合しないと認められるので、事情判決をすることとする。
<判決理由の要旨>
土地収用法に基づく事業認定と収用裁決は、相結合して当該事業において必要とされる土地を取得するという法的効果を完成させる一連の行政行為となっているものであるから、先行処分に違法があった場合には、その違法は当然に後行処分に承継されると解するのが相当であり、収用裁決の取消訴訟において、先行処分である事業認定の違法性を争い得る。
その場合の判断基準時は事業認定時であると解される。
そこで、本件事業認定が土地収用法二〇条三号の要件を満たすか検討するに、その要件は、当該事業の起業地がその事業に供されることによって得られる公共の利益とその土地がその事業に供されることによって失われる利益ないし価値を比較衡量して、前者が後者に優越するかどうかによって判断される。
本件において、事業計画が達成されることにより、洪水調節による沙流川流域住民の生命、身体及び財産の安全が確保されるとともに正常な流水の維持及びかんがい用水、水道用水・工業用水の配給並びに発電などが可能となるから、右事業計画達成による公共性は高い。
他方、本件事業計画の実施により失われる利益ないし価値は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)二七条や憲法一三条によって保障されている少数民族であるアイヌ民族の文化享有権であり、その制限は必要最小限度「おいてのみ許される。また、B規約二七条にいう「少数民族」が先住民族である場合には、単に「少数民族」に止まる場合と比較して、民族固有の文化享有権の保障についてはより一層の配慮が要求されると考えるところ、アイヌ民族は、我が国の統治が及ぶ前から主として北海道に居住し、独自の文化を形成しており、これが我が国の統治に取り込まれた後もその多数構成員の採った政策等により、経済的、社会的に大きな打撃を受けつつも、なお民族としての独自性を保っているということができるから、先住民族に該当するというべきである。
これらの観点に立って対立利益を比較検討するに、二風谷地域は、先住少数民族であるアイヌ民族にとっていわば聖地といえる場所であり、住民のうち極めて多くの割合をアイヌ民族が占め、アイヌ文化がよく保存され、それを後世に伝える多くの伝承者が存在し、多くの国内外の研究者等がこの地を訪れ、アイヌ文化の研究の発祥地ともいわれているところであるうえ、二風谷地域で近年行われているチプサンケの行事は、和人とアイヌの人々の交流の場となつて、和人によるアイヌ文化への理解を助け、アイヌの人々自身の民族的帰属意識を再認識し得る意義を有しており、また、同地域に存在するユオイチャシ跡やポロモイチャシ跡はアイヌ民族の歴史を知る上で重要な遺跡であり、チノミシリは二風谷
地域のアイヌの人々にとって神聖な地である。それのみならず、アイヌ文化は、自然と共生し、自然の恵みを神と崇める中から生まれたものであるから、当該地域のこれらアイヌ文化とそれを育む上地を含む自然とは切っても切れない密接な関係,あるのであるしかしながら、本件事業計画が実施されると二風谷地域は広範囲にわたり水没し、右のようなアイヌ民族の民族的・文化的・歴史的・宗教的諸価値を後世に残していくことが困難となる。
そこで、このように先住少数民族の文化享有権に多大な影響を及ぼす事業の遂行に当たり、起業者たる国としては、過去においてアイヌ民族独自の文化を衰退させてきた歴史的経緯に村する反省の意を込めて最大限に配慮をなきなければならないところ、本件事業計画の達成により得られる利益がこれによって失われる利益に優越するかどうかを判断するために必要な調査、研究等の手続を怠り、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当に軽視ないし無視し、したがって、そのような判断ができないにもかかわらず、アイヌ文化に対する影響を可能な限り少なくする等の対策を講じないまま、安易に前者の利益が後者の利益に優越するものと判断し、結局本件事業認定をしたといわざるを得ず、土地収用法二〇条三号において認定庁に与えられた裁量権を逸脱した違法がある。
以上のように、本件事業認定が違法であり、その違法は本件収用裁決に承継されるから、本来であれば本件収用裁決を取り消すことも考えられるが、既に本件ダム本体が完成し、湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じる。他方、チヤシについて一定限度での保存が図られたり、チプサンケについて代替場所の検討がなされる等、不十分ながらもアイヌ文化への配慮がなされていることなどを考慮すると、本件収用裁決を取り消すことは公共の福祉に適合しないと認められる。
よって、本件収用裁決は違法であるが、行政事件訴訟法三一条一項を適用して、原告らの本訴訟をいずれも棄却するとともに本件収用裁決が違法であることを宣言することとする。
平成五年(行ウ)第九号 権利取得裁決等取消請求事件
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この判決が出たのは、徳山ダムに関して土地収用法適用(イコール「強制収用」と考えて下さっても良い)が云々されはじめた時期とほぼ重なる。
そして、1998年5月に、徳山ダム建設事業に関して「土地収用法に基づく事業認定申請」が、水資源開発公団によって建設大臣に出された。
その7月に、近藤正尚が水没地の権利を譲って頂き(※)、その権利のトラスト登記を終了したのが8月末。
※ 「近藤正尚に」という名指しであったが、最初からトラスト化を考えていたし、「運動」の観点から、「近藤正尚・近藤ゆり子」に、まずは登記書き換えをして頂いた。
いろいろな意味で、「名義人複数化」を早々に済ませたのは良かった。結果論ではあるが、正尚は死を予測したかのように、8月中(平曲演奏で秋田にいくなど忙しかったが)登記書き換え手続き(トラスト化)に奔走し、それを終えて、そして逝った。
「土地収用法」ということで、私たちはこの判決に大きな関心を持たずにはいられなかった。
アイヌ民族の先住民としての権利を認めながらも「事情判決」で、結局は「ダムを作ったもの勝ち」にしてしまっている。「原告適格」論議で門前払いを食わされない「権利」は得たが、私たちは「文化的権利」を主張しうる立場ではない。
徳山ダムの非合理性・非公共性を、しっかり議論しようと思えば、裁判に時間をかけざるをえない。「いずれにしても『事情判決』でダム建設は正当化される」のであったら、司法判断の意義とは何なのだろうか?
続く
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