姫野雅義さんを悼む-11月3日 お別れ会 3- |
(承前)
献花の後、「お堰の家に行こう」ということになりました。
第十堰の近くに設けた「吉野川みんなの会」の拠点。
「吉野川みんなの会」は解散されたので、入り口のこの看板は裏向きに置いてあります。
すでに多くの人が集まっていました。
いろりは、姫野さんが亡くなられた後に完成したそうです。
(貼り合わせでなく)本物の「木」の柱、床。そこにはいろりが似合います。
いろりの上は吹き抜けがあります。
2階には「2000.1.23」住民投票のときに実際に使ったグッズがおいてありました。
献花を終えた人たちが(そしてスタッフが)、次々と集まってきて、いっぱいになり始めました。お邪魔になるし、こちらも帰らねばならないので失礼しました。
◇ ◇
お堰の家を出るときには、夕闇は深くなっていました。
「お堰の家」を出た後、ある橋から吉野川の上流の方向を見ると、落日の残像がありました。
昼間、第十堰に行く途中も、道に迷って、何度も吉野川を渡りました。
会場での献花の後で、「お堰に家」に行くときも、また道に迷って、また何度も吉野川を渡ってしまいました。
インターチェンジに辿り着くにも、またまた道に迷ってしまい、またまたまた何度も吉野川を渡ってしまいました。
お日様が天高くあるときの真昼の吉野川、そして暮れなずむ吉野川…それぞれ、いろいろな角度から見ることができました。
「同じ日でも時刻によって変化する、そして見る場所で変化する、この川の奥深さのいったんでも、よく見ておきなさい」という、吉野川を愛した故人の遺志が働いたのかもしれません。
◇ ◇
この「光」は寂しくもあり、厳しくもあるけど、やっぱり希望の光です。
私は「ご冥福をお祈りします」という言葉は使いません。
「安らかにお眠り下さい」とも言いません。
これからも、どこかできっと暖かく見守って下さるだろうと信じています。
同じような世代の私たちには、残された時間はそう多くはありません。
でも、諦めもせず(そして次世代の邪魔にならないようにということを頭におきつつ)私は-私たちは、「川」の、そして「この国/社会」の未来にコミットしていきます。
◇ ◇
明石海峡大橋夜景。
この機会を作って下さったすべての方々に感謝しつつ。