「氾濫許容型治水について」について |

「氾濫許容型治水について」
1997年11月の建設省土木研究所資料である。
一部をPDFファイル化してアップする。
土木研究所資料
氾濫許容型治水について
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota4/hanranjuyou.pdf
内ヶ谷ダムを巡る行政と一部「学者」は、氾濫許容型治水は「法整備が不十分」という(だから採用できない、と続く文脈で)。
1970年代には「総合治水/氾濫許容型治水」は議論されていた。そして、この資料中にもあるが、1983年に、土木研究所総合治水研究室として「洪水防御による受益と負担の調整に関する調査-総合的な治水対策のために-」(総合治水研究室資料)というのをまとめているようだ。
「お上に楯突くのが趣味みたいな不逞の輩」ではない、河川管理者に近いすじでも、こうして「氾濫許容型治水」を研究してきた。
この方向性を公然と否定する官僚さんにはお目にかかっていない(「河川管理者の責任」という言葉でこの方向から離れ、やっぱりダムに頼ろう、という言動にはお目にかかるが)。
だのに何十年のもわたって「法整備が不十分」なのは一体誰の所為なのだろう?
制度も予算も細々として微々たるものであるのはなぜなのだろう?
・・・「結局はダム(計画の存在)の所為だ」という人も多いが、どちらがニワトリでどちらがタマゴなのか?
◇ ◇
2004年、揖斐川における徳山ダムの位置づけは河川法16条の2を潜脱して行われた。
「事業評価監視委員会に諮った」(← だから何?)とフルプラン変更手続き(← 洪水調節には直接関係しない)で「揖斐川の洪水調節のあり方」を変えてしまったのだ。
2002年の荒崎水害で揖斐川流域の治水のあり方が根本的に問われているそのときに。




◇ ◇
2004年初夏は、徳山ダム事業費増額の詰め(3県1市+国の最終調整)が行われていた。時間軸として同時並行的に荒崎水害訴訟の提訴準備が進んでいた。
2003年春から2004年11月まで中部地方整備局河川部で私の相手をしてくれたY氏。ずいぶんやりとりをしたが、「河川法を潜脱している」という認識があるのかないのか、さっぱり分からなかった・・・「クリアな認識はない」と私は感じた。
(ちなみにY氏は、土木研究所にも籍をおいたことがある、とおっしゃてっていた。このY氏、提訴前の荒崎水害訴訟の弁護団のメンバーを知りたがっていた・・・直接の被告になる立場ではないのに)
「官僚は法律に則って仕事をしているはずなのに、実はあまり法律を意識していない。ひたすら『組織の論理』が優先する」というのが、この15年間の印象である。
立法も不勉強でだらしない。司法も『思考停止』で行政に追随する。行政をチェックできていない。
このことへの苛立ちが、「官僚は悪」「行政組織をぶちこわせ」という感覚になってはびこっているとしたら、「法律による行政」はいっそう危うい。
◇ ◇
2007年5月28日、徳山ダム湛水途上、堤体下で。
