済州島 ~ 4月3日を挟んで ~ その1 |

東日本は大災害、それも原発震災が進行中。そして年度をまたいでの駆け込みダム検証のさなか。こんなときになぜしばらく日本からいなくなったのか?
単純にいえば「4月3日を挟む済州島ツァーがあることを教えてくれた人がいたから」。

「済州島4.3事件」というものがあったことは、1970年に聞いていたが、その頃の知識と理解は「米国に支えられて単独選挙を強行しようとした李承晩一派と反共暴力団に、多くの島民が虐殺された。反共を国是とする軍事独裁政権下の韓国では、『共産暴動』とされており、語ることはタブーとなている」という程度のものだった。
「四・三特別法(済州四・三真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法)」が成立したこと、その後、盧武鉉大統領(当時)が済州島を訪れて韓国政府として公式に謝罪をしたというニュースに接し、一度は行きたいと思っていた。
そして、法政大サス研の金慶南准教授の「文書保存記録への情熱」に触れて、いっそうその思いが強くなった。
弊ブログ
第13回サス研フォーラムについて [2011-02-01 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/15434145/
2011.1.30 サス研フォーラム案内 [2011-01-18 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/15355025/
真相究明と和解と赦し・・・どの「問題」についても、このことは将来にわたって課題であり続けるだろう。
◇ ◇
にわか勉強でこの2冊を読んだ(右の文 京洙著 済州島四・三事件―「島(タムナ)のくに」の死と再生の物語 は、実に済州島への飛行機の中で読み始め、どうにか帰りの飛行機に乗る前に読み終わった・・・付け焼き刃ぁ)


◇ ◇

平和記念館。
旧日本軍の地下壕跡。
個人が整備し、維持管理も行っている、とのこと。
米軍は(日本)本土上陸の前にこの済州島を占領するのではないか、と、6万人以上もの日本軍をここ済州島に終結させ、「決号作戦」という名の決戦に備えたそうだ。

松岳山下の済州島には珍しい平野部。
日本軍が接収して飛行場にした。
見渡せるこの近辺に格納庫跡が多々。




◇ ◇


「火山島」である済州島。雨はすぐに火山灰と火山岩に吸い込まれてしまう。
何度か川を渡ったが、こうした「途中で水がなくなる川」が多かった。




小雨にもやっている漢拏山(標高1950m、(38度線以南の現在の)韓国においての最高峰)。駐車場には残雪が。