続・往時のダム審よりダメな今般の「一斉再検証」 |
何度も引き合いに出すが、1995年の「ダム等審議委員会」設置と比較しても「酷い/ダメ」スキームである。「ダム等審議委員会」設置は、少なくとも河川法改正への熱気があった。今度の「一斉検証」は、誰が何をしたいのか、さっぱり見えてこない。
「徳山ダム建設事業審議委員会」についての1997年11月時点での論攷が紙媒体で出てきた。読み返してみて「そんなに外れていない」と思う。
1997年11月8日「徳山ダム」からの報告(PDFファイル)
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「徳山ダム」からの報告 ’97.11.8
徳山ダム建設中止を求める会 事務局 近藤ゆり子
Ⅰ 徳山ダム建設事業審議視委員会
[1]建設省は「見直し」を「審議委員会」に期待した
(「国家百年の大計をもって河川を考えるのは唯一自分たち」と信じて)
1)建設省はゴーサインの「お墨付き機関」を必要としていない
2)「古くて不要なものはやめるシステム」を作りたい建設官僚の事情がある
3)大手ゼネコン=族議員=建設省の利権三位一体は、思惑のズレが出てきている
4)「不要なものはやめるシステムを建設省主導によって構築すること」
[2]徳山ダム建設事業審議委員会には「客観性・透明性・公開性」を備えて「中止も含めて審議する」条件はあったか。
1)委員の構成
2)公聴会
3)専門委員会
4)審議委員会の進行・内容は委員長と事務局ですべてが決まる
[3]別の形での「徳山ダム建設事業審議委員会」はあり得たか。
<梶原-館>という最悪の組み合わせではなく、「もう少しマシ」な知事や委員長であったら別の結論が出たであろうか。
1)委員の人選と地方政治の構造が、早期完成答申を既定のものとする
2)情報は建設省・公団がすべて掌握している
3)代替案なき審議
4)縦割り行政の枠内では責任ある議論はできない
・・・結局「建設省の設置する審議委員会」では、「見直し」をすることはできない・・
[4]総論
Ⅱ 日本の中での南北問題-山村と都市
[1]「徳山村住民はなぜダムを受け入れたのか」という問題
[2]「藤橋村騒動」
[3] 旧徳山村・藤橋村住民の「民度」は決して低くない
[4]都市中心思想への不信感が村人を縛る
・・・是正されるべきは、都市部の人間の認識であり、政治である。・・・
Ⅲ 市民運動と政治 多少の経験からの独断と偏見(?)
Ⅳ 徳山ダム建設中止への取り組み
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参照
”藤橋村騒動”とシンポジウム「住民自治と地域振興-山村の自立を考える-」
~1998年のはじめ~
http://tokuyamad.exblog.jp/15267003/
「技術と人間」1998年4月号
連載 徳山ダム問題を考える(2)
揺れ動く”地元”からの報告-藤橋村の歴史と現在 (PDFファイル版)
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5月18日、郡上での「東日本大震災チャリティ-イベント」に行ってきた。郡上の若手のチームワークとエネルギーに脱帽。郡上踊りがあればこそ、か。
