徳山村の小字名地図 |
7月下旬、徳山村の方からお手紙を頂いた。「知人からの手紙の要約」とのことで以下のような文面が。
地図を頂いた。2万分の1の地図に小字名と小字境界が刷ってある。
残念ながら、私にはこの小字名からすぐに景色を思い浮かべることはできない。人々が生活を営んでいた廃村前の徳山村をほとんど知らないのだ。
「徳山村は昭和62年(1987)解村し、無住の里になった」
この地図を刊行した方の「哀惜の念」の深さを感じる。
実は、廃村後も人は住み続けた。
今も徒歩でホハレ峠を越えて門入に暮らす人も居られると聞く。
徳山村の北、福井県大野郡のかつての西谷村。
1980年代、徳山村を突っ切って冠山峠を越えた北側、道路沿いに廃集落(集落跡)があった。暮らしが立ちゆかなくなったからだろうか。先祖伝来の土地はあっても暮らしが立ちゆかないとは?遅れた山村、進んだ都会」「将来の見えない山村より、発展している都会」。高度成長期には、そこに疑問はなかった。「
「補償」もなく、ふるさと・先祖の地を離れた人々の思いは・・・。
人がいないはずの徳山村に暮らすお年寄りと仲良しになり、取材を続けた大西暢夫さん(※)。
今、東日本大震災の支援と取材を続けている。
※ 映画「水になった村」監督。
http://web.mac.com/polepoletimes/iWeb/7C4C51EE-E8FF-4870-92E5-6E536C15159B/B5C804F4-AB63-4DF8-AF14-418E13E2084F.html
最近も東北のほうに行ってこられたようだが、飯館村に人が戻れるかどうか、懸念をもっておいでだ。
「懐かしい未来」そのもののような美しい村が、人の住めない村になるとしたら、哀しすぎる。
◇ ◇
2000年頃。
上開田(揖斐川右岸)と本郷(徳山、揖斐川左岸)を繋ぐ橋。
上開田の側から。