熊野川台風12号水害調査行(9) 熊野川・十津川を遡る1 |
(承前)
28日も晴天に恵まれました。
日足から熊野川本流沿いの道に復帰します。
もう一度、三和大橋。

この橋を越えて、谷幅いっぱいに洪水が流れた・・・その洪水の量にも圧倒されますが、この橋(他の橋も)の基本的部分が壊れていないことにも驚かされます。
水位が高かったのに、熊野川本川の橋に重大な損傷がなかったのは、「偶然、不幸中の幸い」なのか、今回の洪水の特性(「熊野川」という川そのものの特性かもしれません)なのか、知りたいところです。
熊野川台風12号水害調査行(2) 日足 [ 2012-03-01 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/17259728/
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北山川の合流地点をすぎて熊野本宮大社に向かいます。
紀南河川国道事務所>>熊野川懇談会>>熊野川パノラマギャラリー
http://www.kumanogawa.org/panorama.html
(8)北山川合流点
http://www.kumanogawa.org/panorama/08.html
合流点で、本川が土色に濁っていることがはっきり分かるのですが、停まらなかったので、写真に撮れず。
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明治に移転した社殿の入り口の鳥居。
奥の階段を上がって熊野本宮大社にお参りする時間がなくて、ここまで。
熊野の神様、すみません。
熊野本宮大社旧社地・大斎原(おおゆのはら)
http://www.mikumano.net/meguri/oyunohara.html

大斎原(おおゆのはら)は、熊野大社と熊野川の関係をよく表していると思うのですが、自力で調べ切れなくて、他人様の考察をリンクしました。
熊野本宮大社紀南河川国道事務所>>熊野川懇談会>>熊野川パノラマギャラリー
http://www.kumanogawa.org/panorama.html
(1)大斎原と御前の津
http://www.kumanogawa.org/panorama/01.html
明治22年(1889年)8月の水害は、太古からの歴史ある本宮大社を動かしたのでした。
それから約120年経って、また同規模の大洪水に見舞われたわけです。
洪水は手前の堤防を越えました。ここは谷が広がっていますが、谷いっぱいに水が溢れたようです。
堤防近くにある資料館は復旧していませんでした。窓の隙間から見ると、床上、人の背丈ほど水が来たようです。

ところで、本宮大社のあるところは「田辺市本宮町」。
「田辺市」って紀州灘に面した海沿いじゃなかったっけ?と調子が狂う・・・むやみやたらな町村合併は、地名を奪う。地名を奪って文化を壊していないか?
一方、流域面積の広い大河・熊野川を所管する(直轄区間は河口近くのわずか)国土交通省近畿地方整備局紀南河川国道事務所の所在地は、もろもともとの田辺市内。
毎日川を見てナンボだと思うよ~。
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三里大橋(と思う)。
まだまだ谷が大きく(盆地状に)広がっています。
この橋も水没したと聞きました(確認しきれず)。
手前の木の途中にゴミがひっかかっています。

続く