八ッ場ダム 目標流量への意見がどうこうなんてくだらない |
やるべきことを早くやれ
昨日(26日)、あるMLに投稿する形で、以下の2つのウェブ記事を貰った。
落ち込んだ。募集されたから意見を述べるか・・・「八ッ場ダムがなくても済む目標流量に設定しろ!○○立方メートル毎秒にすべきだ、国交省が出している数値は間違っている、八ッ場ダム建設をゴリ押しする数値だ。八ッ場ダムをやめる目標流量にするべきだ!」
くだらない、闘いのキモはそんなところにはない。限られたエネルギーを無駄なところに使ってしまうではないか。
萎えた、他のことが忙しく午前3時をすぎた、深夜の静寂で、ますます萎えた。
いつまでこのレベルの「論争」をやっているのだろう?
その間にも、八ッ場の人々は、日々傷付き、日々悲しみ、日々老いていってしまうというのに。
★ 毎日新聞群馬版 2012年05月26日
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120526ddlk10010189000c.html
八ッ場ダム建設:治水根拠、「目標流量」で意見募集??国交省 /群馬
★ 朝日新聞群馬版 2012年05月26日
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581205260001
河川整備計画の意見募集を開始
☆ 国土交通省関東地方整備局
記者発表資料 平成24年 05月25日
「利根川・江戸川河川整備計画」における治水対策に係る目標流量に関する意見募集
http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/river_00000031.html
27日の朝は、6時30分頃目覚めた。睡眠時間が少ない。もう少し寝たほうが良いのだろうが、覚めてしまったんだからしょうがない。家の中滅茶苦茶になっているけど「片づける」気が起こらない。新聞を読むのも面倒。どうしようか・・・・
コンピューターに向かった。この件を知らせるメールがまた上のほうにあって目にとまってしまった。
ああああぁぁぁ 何とかならないものだろうか。目標流量論争に勝つことが目的でないことは誰でも知っている、八ッ場ダムを中止させたいんだ。
だのに妙な論理にとらわれて、「八ッ場救済」はどんどん遅れ、なんだか話が「八ッ場の人々には関心がない」かのように、ずれていってしまう。
国交省の公式な(ホントは違う)「計画の論理」にずっぽりはまりこむからそうなる。
「そもそも人間がわかることはちょっでと、コントロールできることはわずかだ」ということを昨年の311震災・原発災害で、私たちは知ってしまった。
まだ前の考え方で「防災」をするかぁ?
科学は大切だ。でもどんなに科学しても「今後20年以内に来る最大の洪水」は予測できない。
予測できない洪水に人工構造物で「洪水調節」しきるのは無理。
川は溢れるもの、溢れてもあんまり被害がないようにするのが「防災」
(防災は減災だなんて当たり前。自然災害を全部「防ぐ」なんてできっこない)
国交省は「法律に基づいて河川管理をしている」わけではない。まあ、法律を自分の使い勝手の良いようにつくり、解釈は行政裁量でいくんだから、「法律は邪魔にはならない」「あたかも法律に則っているかのようにみせる」のは大得意だ。
さらに都合次第では「法律がないからできません」という決めゼリフがある。
なんのことはない
① 法律がなくてもやっていること、
② 法律を無視してやっていること
③ 法律を誤解してやっていること
④ 法律をウラから読んでやっていること
(これはなかなか感動もんだ。「私もそういう方法には気づかなかった、あんたらやるね」)
それぞれにつき山ほど実例盛りだくさん。
ねぇ?
国土交通省水…舌噛む…局、えい!やっぱり河川局の皆さん、この16年間で、だいぶたくさんこれらの類型の事実があることが分かりましたよね?
「一緒にめっけ」をやってきましたもの。
あなた方も、諸先輩が法律無視で既成事実化してしまったやり方に絶句しつつも、既成事実と「行政の継続性第一」で、結局はそれを追認し辻褄を合わてせて・・・・・
なかなか苦しんでいる姿をしっかりみてきました。
もういいんじゃない?「諸先輩」に忠義立てするのは。
だって東北震災・津波災害・;原発大災害以来、あらゆる意味で「防災」の意味が変わってしまった。
1997年の河川法改正の意味は、私はよくわかっているつもりだ。
(故・稲田修一さんに、私は直にそう伝えました。惜しい方が亡くなった)
でも、もうあの河川法改正が古くなってしまうくらいに、「状況」が変化してしまいました。
だから、「利根川水系川整備基本方針」ができちゃった以上、「利根川水系果然整備計画」を策定することになっているのはわかるけど、別に「目標流量論争」なんてする必要ないんじゃない?
「目標流量」なんて河川法、同施行令にあったっけ?
あんたらの小遣い稼ぎの「河川法研究会」編著の「逐条解説 河川法解説」を何かの間違いで買ってしまった。
6000円+税 高い! あんまり役立たない。ツマラナイ。金返せ!
p85~には「目標流量」なんて見あたらない。(私の見落としだったら教えて)
ほっとけ、目標流量なんぞ。
あんたら、「私の」木曽川水系・揖斐川では、2004年にあっさりこんと、河川法を脱法したじゃん。
ナルホド、行政による脱法行為は、すべからく堂々とやっちまうに限るっていうことを教えられた。
水源連の名前で、2004年11月10日付けで、日弁連に要請書を出した。
http://www.tokuyamadam-chushi.net/backnumber/youseisho04121.htm
~徳山ダム事業実施計画変更における明らかな河川法僭脱につき、
日本弁護士会連合会としてのご意見を示して下さい~
公害環境委員会水部会の善意の弁護士先生たちが、「河川局はそもそも全くなっとらんウソツキだ!」とかなんとか、日弁連の何かしら委員弁護士にあるまじき無内容ではしゃぎすぎの意見書起案をやって、結局、意見書はしかるべき機関を通らずボツになった、と聞いた。
こんな明白な件、しかも直前に山鳥坂ダムがらみで、河川法第16条の2に係る立派な意見書が出ている。きちんと読めば、「マネすれば良い」こともわかる。
オバカ起案した「水部会委員」は、よほど頭が悪くて先行する意見書が理解できなかったのか、それとも傲慢にも、かのZ弁護士よりも自分のほうが「知っている」とでも勘違いしおったか。
そんな三流弁護士には、絶対に河川問題の訴訟の代理人は頼めない。私が本人訴訟を遂行するほうが3倍もマシだ。
国交省に勢いよく噛みついてみせれば良い、というものではない。
そんなのオナニーだ、冗談じゃない。
その手の「先生方」に市民運動が乗っ取られたのかい?
「先生方」をコキおろすことにかけては、全国広しと言えども、私に勝る人はいない・・・・多分・・・・・。少なくとも「中央」みたいなところにはいない。
話を戻して、
他にもいっぱい①1~④の事例の「一緒にめっけ」遊びをしたけど、楽しかったけど、もうオワリだ。
あんまりたくさんで事実の例を忘れてしまった。
それでも① ②の類型で4つずつくらい、③ ④でも確実に1つずつは摘示できる。
たとえば「ダムのアロケを決める。妥当倒投資額を算出する。特ダム法施行規則第4条に規定されている。でも不特定補給についての記述はない。そもそも法令上に用語の定義すらない異常渇水対策なんてチラとも記述がない。
(特ダム法施行規則第4条の他に、何か私の知らない、それにあたる法令の条文があるか、と聞いた。1週間以上Bかかって「ない」との返事。国交省治水課)
不特定容量が異常に大きい設楽ダムで『不特定容量』分の妥当投資額はしっかりと出され、アロケでは大きな割合だ。どうやって「ない」ものから大きな金額を出せたのか? 手品だ。なんだかその手品のタネが見えてしまって「問題」にする気になれない、アホ臭い。
法令にはその用語の定義すらない「異常渇水対策」。それでもニュキニュキと妥当投資額は計算され、堂々と「木曽川水系連絡導水路 治水分 890億円×65.5%」を出してしまった。
やってみるものだね。誰もツッコミをかけないから出来てしまう。
「行政間協議(三県一市+国交省中部地整)」なんて法令もへったくれもない、「ウチは少しでもお値打ちに、オトクに」しか考えていないのが、それぞれの利害をかけてバトルをするのだから、法令なんて知ったことではない。何、いよいよ交通整理をしないとどうにもならない終末局面で、国交省は宣う、「法律ではこうなっています」。
これが実は法律の条文の前段だけを言い、後段はダンマリを決め込んでいるのだとしても、誰も気づかない。もともと法律なんて関心のないのが役人、その役人がよってたかってバトルをした「仲裁」に使った法律の条文が、正確に解釈されているかどうか、なんてどうでも良い。
いいですか、皆さん
徳山ダムに係る導水路検討会が、議事録を残さなかったのはそういう理由ですよ。
議事録が残っていたら、どんなに無茶苦茶な議論だったかがバレバレ。
どの役人も法律なんて知るか、というたぐいの議論をしたことは明らかです。
徳山ダムに係る導水路検討会 幹事会資料
http://dousui.org/kanji/index.html
河川管理者は「基本高水流量」→「目標流量」→「個別ダムの是非の検討」なんて思考法はしていません。
個別ダムをどうするか(たいていは「作る」)を決めてから、数字を合わせていくんです。
そんなの旧法(工事実施基本計画)のときから明らかじゃないですか。
故・村瀬惣一さんの名言=「河川官僚は、数字をケツから合わせる」
「利根川水系の基本高水流量は過大だ」
「八ッ場ダムを止めさせるためには、過大な基本高水を正さねばならない」
「八ッ場ダムを作るために関東地整は、大きな目標流量を出してきている」
「これを八ッ場ダムのいらない目標流量にするために論争すべきだ」
はい、別に間違っていません。
貯留関数法だの確率論だのの大好きな方はどうぞ、この「目標流量闘争」に参戦して下さいませ。私はやらない、興味がない。
貯留関数法の計算において採用された定数(じょうすう)が妥当か、R2乗の値はどうだ、ハイドログラフとの一致度はどうか・・・・一応勉強しはじめて、そしてアホらしくなった。
(実は流体力学から始めようとして、さすがにそれはすぐにやめた)
河川官僚さんたち、この議論はお得意だけど、実は本質はここにないことを、当然にもよくご存知だ。
目と目を合わせて「実はどうでも良いよねぇ」ではケンカの力も入らない。時間の無駄。
私は基本高水のようなものを決めるのもいかがか、と思っている。
でも行政としては基本高水のようなものがないと困る、というのもわからないではない。
間違っても「河川法にそう書いてあるから」というアホは抜かすな、ご都合次第では河川法など(他の法律も)堂々と潜脱・脱法している例は掃いて捨てるほどある。
ザクっといえば河川管理者は河川法など無視しまくって「河川の管理」を行っている。
分かりやすいのは河川法第12条。
突然閲覧を求めて、河川台帳が台帳らしくなっているは見たことがない。
整理されないまま何年も放置され、「とりあえずはさんでおく」さまざまなペーパーが順不同で綴られている。
河川の現状がわかるのどうのの域に達していない。この「台帳と称するペーパーの綴りがいったいどういう構成でどう話が続いているのか」を理解するだけで、担当職員と一緒に汗だく。結局わからずじまいなことが多い。
それでも「どこに」それがあるらしい、とわかるのはマシなほうだ、「あるのは確かだが保管場所がわからない」はしょっちゅうだ。
河川法第12條という比較的冒頭、第二章「管理」冒頭のほうにおかれたことからすれば、河川台帳で当該河川を把握し、適切な河川管理を行っていくのが「河川法の予定するところ」なのだろう。河川台帳が見あたらなかったり、全く整理されていないのであれば「河川の管理」に必要な情報はどこに集積されているのか?
つまり河川管理者は、河川法に定めらた方式で河川管理をしていない。
となれば、「河川法第16条の2によって河川整備計画をつくるにあたり、目標流量を定めたい」というが、その法的根拠は何なのだ?
「河川管理者がそう思ったからです」、いやお得意の「そうなってます」かもしれない。
「目標流量」とは一体何だ?
どうやら、「1/200」の基本高水流量のミニチュア版をつくるということらしい。「1/200」が「1/70~80」になるとそのボリュームがどうなるのか、は私はよく知らない、関心がない。多分、河川管理者のおっしゃる通りに近いのだろう。日本学術会議に出すほどご大層な話とは思っていない。
目標流量を決めて、「それがどうした?」
高い目標流量を決めれば何にもしなくても河川の安全度が向上する、なんて寝ぼけた話はやめて欲しい。使えるお金が一文もなくて、計画だけ目標流量を上げれば、その瞬間にいきなり安全度があがるのか? それでは魔法だ、手品だ。つまり錯覚だ。
1997年河川法改正で、「工事実施計画」という形で高水から具体の工事まで同じ計画に盛り込んでいたのを、第16条=河川整備基本方針 と 第16条の2=河川整備計画 とにわけた。これによって、河川整備基本方針における基本高水流量は、個別のダムの是非とは直結しなくなった。前進であろう。
個別のダムを作る、ということは河川整備計画で決められていく。どうしても必要なら作る、そうでなければ作らない、お金もかかる上に、環境破壊が大きいから。
私は断言する、今、全国を見渡して「どうしても必要なダム」など1つもない。そんなに必要なら、計画がありながらグズグズと何十年も作ってこなかったの不作為の罪は大きい・・・・ことになる。誰か不作為の責任をとるとでもいうのか?
今、利根川水系最大に懸案は、どこかが洪水にひんぱんに襲われる、ということ以上に、八ッ場、長野原の住民の苦渋である。
「現地ずり上がり方式」とは全く様相が違ってきた。このまち作り計画に参加する旅館などの数が大きく減ったために「残った者」だけでは、到底、当初描き出した「ダム湖畔の温泉街」はつくれない。金をかけても無理。
長い歳月で、未来をどう描いて良いかわからないまま八ッ場の人たちは苦しんできた。その救済こそ最大の懸案だ。
川辺川ダムは中止を前提に地元の生活再建・地域振興にダム予算から(ダム工事ではなく)毎年290億円から予算をつけている。特別法をつくったわけではない。「川辺川ダム基本計画を廃止するには地元県知事の同意が要る、地元県知事の同意をえるべく、地元の生活再建・地域振興に取り組んでいる」 なるほど「基本計画を廃止」までは、「基本計画に基づいて」と賞する予算のつけかたでさまざなことができる。
八ッ場でもそれをやれ。
現地で生まれ育った人の誰が故郷を水没させたいものか!「それしかない」と、長い間思わされてきたからではないか。
「ダム本体建設は諦めました(理由はなんでも良い)。地元の生活再建と将来の地域の自立と新興のたま、毎年300億円か400億円ほど予算をつけようと思います。単なるハコモノや要らない道路ではなく、本当に皆さまの生活に役立つもの、地域の雇用創出に役立つものは何ですか?」
「これまでの経緯」に拘る人は一度はカっと来て大騒ぎをするかもしれない。「自分の半世紀はなんだったんだ!」と。そう、最初から八ッ場ダム計画なぞなかったら・・・・。
でもそれは今となっては「フクイチの原発事故がなかったら」のようなものだ。放射能汚染で未来永劫苦しまねばならないことを考えれば、長野原は、八ッ場は、まだマシだ、といえなくもない。
繰り返す。
利根川水系で喫緊の課題は、八ッ場を、八ッ場の人々を、どう救済するか、だ。
今さら計算の帳尻合わせに四苦八苦して要らないダムを要るように見せかけるなんて無駄な努力、いや有害な努力だ。
人員を減らされた上に、人勘制度無視(憲法違反だ!)で大幅賃下げをくってやる気をなくさせられている国交省の職員さん。
目標流量を定め、次に利根川水系河川整備計画の中で八ッ場ダムをどう位置づけるかを議論する・・・そんなのはどうでも良い!
無駄だ、有害だ、そんなことをしているヒマはない。
一刻も早く、八ッ場ダム中止を決め、八ッ場の苦渋を救済しろ!