裁判長が何度も「撤退」を口にした1月23日導水路裁判口頭弁論 |
法廷で、裁判長が「撤退」という言葉を何度も口にしたのは、多分、全国でも史上初。
本来、裁判所は、法律条文を自らきちんと解釈するべきはず。なのに「被告のご主張を裏づけるコメンタールとかありますでしょうか・・・国交省でしょうかね。問い合わせて、あれば提出して下さい」 裁判所は、よほど自信がないのでしょうか。
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「撤退ルール」隠しはダメよ ~「導水路見直し」共同公約から2年~(1)
http://tokuyamad.exblog.jp/18314314/
記事で以下のように書きました。
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対愛知県の木曽川水系連絡導水路公金支出差止訴訟で、被告・愛知県は「本件支出を行うことについては、知事及び企業庁長に裁量権はなく、法令に基づく支出義務を負っている」と繰り返し主張しているらしい。そこで原告側は新たな準備書面で「被告らが自らの行為によって支出義務を負わなくすること」、つまり「撤退ルール」について説明した。
1月23日の次回口頭弁論までに被告愛知県側から何らかの反応があるはずである。
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「撤退」を正面から議論したら被告にとってはマズイはず。
被告は「かわす、逸らす、すり替える」で来るだろうと私は予想していました。
ところが、さにあらず。以下、被告の反論(被告第12準備書面)から。
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2(1)イ
・・・水資源機構法施行令第30条1項2号ロ、32条1項柱書きの括弧書き、水資源機構法13条3項の括弧書きは、あくまで、事業実施計画の変更に際し事業から撤退する場合のことを規定している。事業実施計画に反して事業から撤退できると記述されていない。
(中略)事業から撤退するためには、(中略)木曽川水系フルプランの変更がなされる必要がある。
・・・・愛知県は自らの自由な判断によって本件導水路事業から撤退することができるとの原告らの主張は誤りである。
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かなり驚きました。
ここで引用された条文を拾います。
☆ 水資源機構法13条3項の括弧書き
(当該事業実施計画の変更に際し、事業からの撤退(当該事業実施計画に係る水資源開発施設を利用して流水を水道又は工業用水道の用に供しようとした者が、その後の事情の変化により当該事業実施計画に係る水資源開発施設を利用して流水を水道又は工業用水道の用に供しようとしなくなることをいう。) 以下同じ。)をする者を含む。)
括弧書きの中に括弧書きがあって、「撤退」という用語を定義しています。
(変更あるいは廃止前の)「当該事業実施計画」が存在する下で「供しようとした者が、その後の事情の変化により・・・供しようとしなくなること」です。
☆ 水資源機構法施行令第30条1項2号
ロ 法第十三条第一項 の事業実施計画の変更の場合であって当該変更前に事業からの撤退をした者がある場合において、
☆ 32条1項柱書きの括弧書き
(当該事業の廃止前に事業からの撤退をした者を除く。)
どちらも事業実施計画変更あるいは廃止「前」に撤退があることを明示しています。
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原告側からは即刻被告の酷い誤りを指摘する準備書面12が出されました。
(準備書面は「導水路はいらない!愛知の会」のHPにアップされるはずです。)
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愛知県は、木曽川水系フルプランや本件事業実施計画の記載があったとしても、これらに拘束されることなく、その後の事情の変化つまり現時点までの実績事実に基づいて徳山ダムに確保される水道用水に需要があって本件導水路事業が必要かを、自由に独自に判断して、事業からの撤退ができるのである。また地方財政法4条1項および地方自治法2条14項によって判断をしなければならないのである。
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明快です。
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しかし「赤信号、みんなで渡れば・・・」という状況があるのも事実です。
<自らの自由な判断によって事業から撤退することなどできない>と決めつけてしまえば、判断停止・思考停止を正当化できます。過大な水需要予測を修正しようとしない言い訳にもなります。
もし名古屋市が「撤退意思表明」をしたら-「撤退ルール」問題 その1(2009.7.13)
http://tokuyamad.exblog.jp/11513953/
記事中に引用しましたが、水資源機構法施行令「撤退ルール」が制定されるときの「官庁速報」。
◎2003年7月1日/官庁速報
自治体、企業のダム撤退で新ルール=費用分担を明文化、過大投資防止-政府
「計画時よりも需要が落ち込んだ事業者が撤退しやすい環境を整え、過大な投資を防ぐ。」
当時、水資源開発公団(2003年10月に水資源機構に)内などには、「撤退しやすい」ことへの強い抵抗がありました。手続き規定を明文化しなかったのは、「解釈-誤解-の糊代(=妥協の産物)」だと私は思いました。
そして「誤解の糊代」が大手をふってまかり通っているのが、導水路事業を巡る愛知県と名古屋市の状況のように感じています。
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「一旦計画された公共事業は何十年かかってもやり通してしまう」
確かにそうです。
が、この主語は誰なんでしょう?
人口に膾炙しているのは「中央官僚、霞が関」ということのようです。そういって言えなくもないし、何十年間にもわたる話を一つのストーリーにまとめるときの整合性をとりやすい。
でも、それは”地方”の(同時に有権者の)思考停止のエクスキューズになっているのではないでしょうか?
ダム問題に関わりはじめて17年。
”地元”(関係地方公共団体)、はっきりと「要らない」としたものを”国-中央”が強行突破した、という例を私は知りません。
「導水路事業見直し」の共同公約を掲げて当選した大村・愛知県知事と河村・名古屋市長は、同時に「地方分権」「地域主権」を高々とと掲げました。
すでに存在する法令の枠組みで(新たな立法なくして)利水者としての自主的な判断はできます。「国が、中央が・・・だから見直せない」という言い訳はできないはずです。
4年前に「撤退したい!」とおっしゃった河村さん、もうすぐ市長の任期が切れます。4月の市長選に向けて、どう決断なさいますか?
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1月11日の藤前干潟。