大滝ダムのこと(1) |
★ 毎日新聞 2013年03月23日 22時01分
大滝ダム:半世紀かけ完成…事業費、計画の16倍 奈良 http://mainichi.jp/select/news/20130324k0000m040048000c.html
【写真】完成した大滝ダム=奈良県川上村で2013年3月23日、本社ヘリから後藤由耶撮影
奈良県川上村の吉野川(紀の川)に国が建設していた大滝ダムが、計画からほぼ半世紀ぶりに完成し23日、記念式があった。03年に試験貯水を始めたが、地滑りが発生し、その対策などで完成が大きく遅れた。当初の計画では、事業費は230億円だったが、工事費や用地補償費の拡大などで、最終的には約16倍の3640億円に膨らんだ。
大滝ダムは洪水調整、利水、発電のための多目的ダム。奈良、和歌山に水道水を供給する。堤は高さ100メートル、長さ315メートル。貯水量は8400万立方メートル。
ダムは1962年、国が計画を発表。59年の伊勢湾台風で奈良、和歌山両県内の同川流域で死者、行方不明者130人の被害が出たことがきっかけだった。住民は土地を奪われ将来の生活に不安を感じるとして、激しく反対運動を展開したが、65年に着工し、493世帯が離村した。現在の村人口は60年の5分の1ほどの約1700人に減った。
また、03年の試験貯水では、同村白屋地区で地滑りが発生し、住民37世帯、77人が村内外に移転して、対策工事を繰り返した。11年には大阪高裁で、ダム建設を巡って国に賠償を命じる判決も出された。
この日、ダム湖を「おおたき龍神湖」と名付けて自然石に刻んだ碑の除幕式がダム湖近くであった。式には約400人が出席し、栗山忠昭村長(62)が「今日から日本一きれいな水源地の村に挑戦する」とあいさつした。【栗栖健、岡奈津希】
◇ ◇
わあ、「日本一の巨大ダム・徳山ダム」より総事業費がかかっている!
大滝ダム
「総貯水量8400万立方メートル、総事業費3640億円」・・・4333円/m3
「当初230億円 → 3640億円」 ・・・ 約16倍
徳山ダム
「総貯水量6億6000万立方メートル、総事業費3340億円」・・・506円/m3
「当初330億円→3340億円」 ・・・ 約10倍
なんだか徳山ダムとてもがリーズナブルなダムに見えてくる???
こんなことになってしまったのも、何十年も前から住民側が問題にしていた地盤の悪さをきちんと調査・検討することなく建設を強行したから。まともに調査・検討されていれば、純粋に費用対効果の面の判断からだけでも建設は中止になっていたのではないだろうか?
(大牧冨士夫著「徳山ダム離村記」p89に、1979年2月当時のリアルタイムの事情が少し)
2003年、試験湛水途中で大規模地滑りが起こり、白屋地区住民は移転を余儀なくされた。村民は重ねて犠牲を強いられたのだ。
この地滑りの「対策」に改めて10年の歳月と巨額の予算が費やされた。「想定外の自然災害」ではない。だが、この大滝ダムの建設を強行した官僚も学者も明確な責任を認めたとは聞かない。
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★ 朝日新聞2013年3月23日
半世紀がかり、大滝ダム完成 建設に揺れた奈良・川上村
【写真】完成した大滝ダム=21日午後、奈良県川上村、朝日新聞社ヘリから、筋野健太撮影
【西山良太、菱山出】奈良県川上村の「大滝ダム」が計画から半世紀を経て完成し、23日、現地で記念式典があった。村を挙げた強い反対が起き、建設後の試験貯水で地滑りのため住民は移転も強いられた。ダム完成を見つめる住民や元住民らの思いは複雑だ。
建設のきっかけは、奈良から和歌山に流れる紀の川(奈良県側では吉野川)流域で130人の死者が出た1959年9月の伊勢湾台風だ。
62年4月、当時の建設省がダム建設計画を公表すると、水没する13集落475世帯が移転を強いられるため、地元住民らは強く反発。村議会は同年7月、ダム建設反対を決議。63年2月には地元住民らが反対期成同盟を結成した。
村もダム対策委員会などを設けて反対姿勢を示した。
村議を経て、80年から8期32年間村長を務めた大谷一二(いちじ)さん(88)は「役場に説明に来た県の副知事を通さないよう入り口に座り込んだり、ボーリング調査を邪魔しようと道路を塞いだりした」と振り返る。
だが、水没世帯への補償交渉などを経て、村は81年、建設に同意する覚書を建設省や県と締結。移転した475世帯のうち、約400世帯が村を出た。
2011年9月、紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号は伊勢湾台風の雨量を上回ったが、下流で流された家屋はなかった。昨年7月に引退した大谷さんは「自分が生きている間に完成しないだろうと思っていた。下流の人命を救う使命を果たせ、誠に喜ばしい」と語る。
【図】大滝ダムと白屋地区
【写真】 完成した大滝ダムと白屋地区の集落跡(下の斜面)
=21日午後、奈良県川上村、朝日新聞社ヘリから
筋野健太撮影
同村から北西に約20キロ離れた橿原市石川町。ダム東側の白屋(しらや)地区出身の12世帯27人が暮らす。試験貯水が始まって間もない03年4月、地層に水が入り込んだ影響で家屋や道路に亀裂が発生。全37世帯77人が移転を余儀なくされた。
区長の井阪勘四郎さん(84)のもとに2月、村役場から式典の招待状が届いた。怒りと悔しさがこみ上げ、涙が出た。「古里を奪われたのに、一緒に喜べというのか。これ以上我々の無念を踏みにじるな」
国は住民の家屋や土地を買い取ったが、移住の費用には足りなかった。井阪さんら元住民30人は07年、国に慰謝料など約2億1600万円の損害賠償を求めて奈良地裁に提訴。敗訴したが、11年の大阪高裁判決は1人当たり100万円の賠償を命じた。
確定したが、「国から謝罪は一度もない」。
今も住民らは毎月、地区に残る墓地に通う。井上兼治(かねはる)さん(69)は「先祖らの墓が100以上あり、一緒に移動させたかった。国に何度も掛け合ったが、補償してくれない」と唇をかむ。招待状は「欠席」と書いて送り返した。
移住から約10年。高齢化が進み、移住後に4人が亡くなった。井阪さんらは昨年末、「大滝ダム建造で消えた集落・白屋地区」と題した100ページを超す区史を作った。
「先人から800年続いた故郷を守り通せず、子や孫に申し訳ない。故郷が消えることになった経緯を記し、後世に伝えたい
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〈大滝ダム〉 1959年9月の伊勢湾台風水害を機に、紀の川の治水と奈良県内や和歌山市などへの利水、水力発電を目的とした特定多目的ダム。
総事業費3640億円。堤高100メートル、堤頂長315メートル。総貯水量8400万立方メートルは阪神甲子園球場約140杯分。群馬県の八ツ場(やんば)ダム(建設中)の63年間に次ぐ長期事業で、反対運動の激しさは「東の八ツ場、西の大滝」と称された。
【図表】 大滝ダム建設をめぐる主な出来事
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弊ブログ
大滝ダムと徳山ダム-1 [ 2011-07-28 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/16338955/
大滝ダムと徳山ダム-2 [ 2011-07-28 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/16339773/
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続く