大滝ダムのこと(2) |
(承前)
2009年、「コンクリートから人へ」のスローガンで総選挙に大勝した民主党政権によるダム事業の再検証・・・・は、竜頭蛇尾。まとまな見直しにもならず、自民党政権が復活するや、検証対象ダムは、一気呵成に本体工事へと歩を進めようとしている。
「ダムに頼らない治水」をめざして設置されたはずの「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」は、人選もさることながら、非公開の密室会議としたことでそもそもの正当性が喪われただけでなく、中身もヒドイものとなった。この「有識者会議」が取りまとめたことになっている(官僚の作文であることは明白)「再検証」マニュアルは、事業者自身によるお手盛り検証マニュアルとなり果て、今、この「有識者会議」は次々と問題ダムの「継続方針」を追認する機関となってしまっている。
<余談ながら>
・ 「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議 中間取りまとめ」への意見(近藤) 2010.8.14
http://www.tokuyamadam-chushi.net/youbouseimei/yushikishaiken10.08.14.pdf
・内ヶ谷ダムの2回目意見募集に応じて
http://tokuyamad.exblog.jp/15921964/
この「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」座長は、中川博次・京都大学名誉教授は、このダムの設計にも関与した、大滝ダムには深い関わりのある人物だ。
試験湛水で地滑りが発生した2003年当時、紀ノ川流域委員会委員長でもあった。
2003年当時に紀ノ川流域委員会委員であったI氏がご自身のブログ「流動2001」で、1978年、1981年前後に事情と紀ノ川流域委員会での議論について書いておられる。
★ 流動2001 2003年08月01日16:53
第16回「紀ノ川流域委員会」報告
http://style.twwwa.org/archives/51136499.html
6月11日に第15回「紀ノ川流域委員会」での大滝ダム湛水による被害経過の整備局との答弁を報告しました。さらに7月23日に白屋地区の調査結果報告要望書の提出もお知らせしています。
今回は白屋地区亀裂問題が議題の「流域委員会」の報告をします。庶務から事前に送られてきた議事次第から見ても、今回の事件の関心度の強さを示すものだと思われる内容です。また、それに加えて、20日の地元住民の仮説住宅への移転模様のテレビ放送、さらに、地元白屋区長、副区長からの嘆願書ならびに市隣になる橋本市の住民団体「玉川峡を守る会」からの嘆願書についての要請等があり、今回の委員会の中心議題になっていた。
資料に関しては、当日には付けられていなかったが、6月5日に行われた「第1回検討会議」の分厚い資料が届けられた。また、議題が話題性のあることからマスコミ、テレビ局が動員されていて少し物々しい感じさえする状況での委員会であった。
今回の争点は、検討委員会が迅速な対応且つ地元住民との協議に問題がないかというところです。そして質問準備として前回紹介した「要望書」を出していたというのが経緯です。
今回の因果関係と対応を明らかにする舞台装置としては、「嘆願書」を出していた白屋区長、副区長ならびに要請を出した「玉川峡を守る会」の方々の参加で整っていた。従って、如何に議案として委員会で協議できるかであった訳だが、「守る会」を代表している委員からの「嘆願書についての要請」発言があったが。
大滝ダムの状況報告後、私の質疑は「要望書」に基づき、奈良県が78年に「潜在的地滑り地」と認め且つ国土省対策委員会が81年に「ダム貯水により地滑りの可能性がある」との指摘にも拘らず、ダム工事が強行された経緯を各団体の方からお聞きする方法を採った訳だが。何時もの常套手段で整備局は当時の経緯はよく解らないとの答弁、奈良県職員は参加していたにも拘らず発言なしであった。私の質疑に対応できなくなった雰囲気での中川委員長の判断で急遽、委員会を中止しての傍聴者発言に切換えての実質的な協議になった。
そこで、白屋副区長の堰を切ったような発言に因って、国土省の委員会の見解以前に、地元から独自の専門有識者に拠る調査依頼を行っており、その調査結果も「必ず地滑りが起こる」との報告を出していたことが解った。そして81年前後して地元白屋地区住民の方は当時から「全戸永住移転」を国土省にお願いしていた事実も明らかにされた。従って、副区長は今回の地滑りは「人災」であると明言、地元住民の声を無視したごり押しのダム建設であると国土省の対応を批判しました。
私が「要望書」で「人災も甚だしい」との批判は的を射た指摘だった訳です。それにも況して、糾弾されなければならないことは、未だにダム湛水との因果関係を認めないということです。
6月5日に行われた第1回「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会」の見解です。奇しくも、81年当時の対策委員が今回の対策委員長であるというのは、なるほどと解らなくも無いが、その無神経さに唖然とさせられる。国の非を認めない根性は建設省から国土省に変わっても「三つ子の魂百まで」、永遠に変わらないということか。これに対して地元白屋地区の住民の方は怒り心頭に発する、極限にきている様子が見て取れました。
地元住民の見解と整備局の対応の段違いを指摘した質問に対して、整備局は粗方のことは8月1日の第2回「対策検討委員会」で説明される」との見通しを述べるに止まりました。
今回の事件で一つ個人的に興味があったのは、中川委員長がどのように対処するかであった。周知のように、大滝ダムは中川委員長の設計であり当時アーチ型の話題になったダムです。今回の河川整備計画策定に当って、また紀伊丹生川ダム計画中止との関連は切り離して論じられない関係にあることは皆さん十分承知しているところです。
それを踏まえて中川委員長がどのように今回の事件を論じるかは非常に関心のあるところでした。結果は面白いことに、本人も危険性を認めており、但しこの事例は何も特別列記することのない所謂よくある話の部類になるとの説明から始まりました。以前から中川委員長は案外真っ当正直なところがあると感心してはいたのですが。こうもあっさり認めての説明にはいささか呆れますが、災害はいつ何処でどのように起こるか判らないとの見解は正にいくら洪水対策を施しても意味がないことの裏返しであることの証明でもあってよいお話が聞けたと思った。
今後の紀ノ川整備計画策定によい意見が聞けたと改めて感心している次第です。
とにかく当時からの先送り対処法が露呈した事件でした。
尚、白屋地区副区長ならびに中川委員長の発言記録を参考にお読みになりたい方は申し出てください。議事録が届き次第コピーをお届けします。
取り敢えずではありますが報告とさせて頂きます。
流動2001 関連記事
2003年07月23日
大滝ダム 調査結果報告の要望書
http://style.twwwa.org/archives/2003-07.html
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続く