映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」 と徳山ダム |
6月28日(金)、岐阜ハートフルスクエアGで行われる 映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」上映会に先立って、 6月11日に行われた試写会に参加しました
「福島 六ヶ所 未来への伝言」HP
http://www.rokkashomirai.com/
6月28日(金)、岐阜ハートフルスクエアGで3回上映。 島田監督のトークも。
6月28日の上映会のお知らせ
☆ れんげ通信ブログから
◆ 上映時間、監督トーク時間など
http://rengetushin.at.webry.info/201305/article_1.html
◆ 試写会に参加された方の感想など
http://rengetushin.at.webry.info/201306/article_4.html
☆ 予約、問い合わせ
兼松さん 携帯080-511-2313
メールアドレス kanemf★kzh.biglobe.ne.jp (★を@に変えて下さい)
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40年いえ半世紀近くも都市暮らしをしてきた団塊の世代の私たち。
「(脱原発派の)娘には絶対に言い負かされる」と力なく話す六ヶ所村の「再処理施設建設推進派」の父親を嗤う倫理的資格を、私たちはもっているのでしょうか。
1995年から大垣の東境を流れる揖斐川の最上流の「日本一の巨大ダム・徳山ダム」の問題に関わってきました。
長くなりますが、2000年夏、堤体工事で徳山の山が大規模に崩され始めていく頃にある雑誌に書いた文から引用します。
【・・・こうした村の苦しみに対して下流住民の反応は鈍かった。70年代後半から80年代にかけて徳山ダム計画に対する鋭い批判を展開した論文が地元の知識人を中心に書かれているが、多くの市民には知られていない。80年代半ばから次々と離村・移転していく徳山村の人々に対して「ふるさとを出ていくのは可哀想」「村の人たちが補償金をもらって出ていくというのだから、外部の者がとやかく言えない」と反応するのがやっとであった。
都市を基盤とする企業利益が「国益」の指標となり、「国策」としてダム計画を持ってくる。農山村はあらゆる意味で自立の条件と未来への展望を奪われ、何か志を抱く若者は都市を目指す以外にはないように信じ込まされてきた。「徳山ダムには反対運動はなかった」のは、都市による人と資源の収奪、経済発展と科学技術への信仰とがもたらした必然であった。】
【ある旧徳山村民が言う。「今でも村を出たのが良いか悪いか分からない。ただ出てきたことで、子供に教育をつけてやることができた。これだけは良かったと思っている。」
首都圏に育ち、かつて大学を拒否して中退した筆者には、胸を突かれる言葉であった。学歴信仰は否定してきたが、都市で多くの情報に接する機会を得ることは、人としての幸福追求のための有利な条件となるという見方は否定していなかった。だがその背景には、東京を中心とする大都市を知性の頂点と考え、情報が一方的に流れるのを当然と考えてきた価値観、「進んだ都市と遅れた農村」という思い込みがありはしなかったか。そうであれば、たとえ「反体制」的な言辞を弄したとしても、中央集権・官僚支配の政治システムと表裏をなすものに他ならないのではなかったか。
経済的条件もさることながら、この種の思い込みや価値観が、農山村住民の離村を促進させ、ダムや原発や産廃施設の受け入れを強いてきたのではないだろうか。】
(「SD21」 2000年 9月号 原稿より)
☆ 「SD21」 2000年8月号原稿 PDFファイル
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota6/sd21-2000-08.pdf
☆ 「SD21」 2000年 9月号原稿 PDFファイル
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota6/sd21-2000-09.pdf
娘さんのほうが正しいことを理解してしまっている、それでも自分の選択を否定しきれない六ヶ所村の父親の姿は、私たちの来し方の投影のように感じます。
ダムと原発は違います。
が、「進んだ都市(の価値観)」が「遅れた農村」に押しつけたという構造は共通しています。その価値観の積極的な担い手だったのか、あるいは消極的に流されたのかの違いはあっても、その価値観を否定できずに現役世代を過ごした私たち団塊の世代は、今の日本の惨状を作り出した責任の一端は免れられ無いと、私は思います。
改めて、自分なりの「未来への伝言」をどんなふうにのこすのかを考えさせられました。
多くの人に観て、考えて頂きたい映画です。
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