続・岐阜県も踏み出せるか?-「洪水をある程度許容する」治水- |
承前
岐阜県河川課のI課長は「大垣市の全町内会長に渡っているはず」とおっしゃったけど・・・。
23日午前に、大垣市役所に行った。
まずは建設部治水課へ(全国でも基礎自治体に「治水課」があるのは珍しい)。
治水課で、「伝統的防災施設マップ」の西濃地区中部版と県内全域版を見せた。
「知りませんでした。初めて見ました」とのこと。途中で話を小耳に挟んだ治水課の別の職員が、「そういえば5月くらいに『こういうものが県から来るそうだけどどう配ろうか?』という話があった。結局どうなったかはわからない。生活安全課かなぁ・・・」とのこと。
県の河川課から来たものが(これだけ「国-県-市」と縦割りが貫かれているのに)建設部を素通りして生活環境部生活安全課に行くというのはありかなぁ、と大いに疑問をもちつつ、一緒に生活安全課へ。
生活安全課では「ああ、見たことはあります。窓口においてくれと、とのことでしたが、もうないです、そんなに部数はなかったから。確か建設部から来たはずだけど、管理課だったかなぁ」
また戻って(治水課の隣の)管理課へ。
「ああこれ。5月か6月かくらいに県から来ましたよ。全小学校に10部ずつくらいと、地区センター(18カ所)に渡しました。自治会?全部の自治会に配るには、部数が足りないと考えて、小学校と地区センターにしました。」
大垣輪中組合の事務局は管理課にあるのだし、部数が少ないことはモッタイナイと思うが(これに関しては、大垣市としての活用の方法-小中学校での学習教材に使うだけでなく、地区センターでの生涯学習のプログラムに組み込む等に提案をしつつ、県に増刷を依頼したら、と述べました)、これ自体は、何がどう問題、というほどでもない。
が、治水課で責任ある立場の人を全く素通りしていることに大いに違和感を覚えた。
大垣市には(岐阜県にも)「過去」があるから、単なる事務手続き上の「問題」だけではないのでは、と思ってしまった。
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大垣市の輪中館(&輪中生活館)は、交通不便な場所にあるのが難点だが、訪れてみる価値のある施設である。
輪中館・輪中生活館
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000000609.html
http://www2.og-bunka.or.jp/bunka/manage/waju.html
輪中館展示。
このHPには載っていないが、大きな掛け軸-太く青に塗られ、入り乱れ交錯する「川」のに輪中が点在する江戸時代の図-は、この地域と「川」とのもともとの関係を示していて、印象的である。
輪中生活館。
奥に見える高い建物が住居式水屋。「ここでどのくらいの期間生活したのでしょうか?10日間とか?」と尋ねたら、あっさりと「2~3ヶ月」と答えられてしまった。
大垣市の輪中館の開館は1992年4月。開館に尽力された方は、輪中研究でよく知られたIt先生。「徳山ダム建設中止を求める会」代表の上田武夫も若い頃、この方をリーダーとした輪中研究の会にいたこともあるとのこと。
私たちが「徳山ダム建設中止を求める会」を立ち上げ、運動を始めた時期は、輪中館の拡充(cf 輪中生活館-1997年開館-)の時期だった。It先生は徳山ダム建設に賛成でも反対でもなかった(「反対運動」とかをする人ではない)。
にも拘わらず、輪中館の拡充-「輪中」の理解を市民に広げること-について、徳山ダム推進の立場の人々(「大垣市、岐阜県」が見え隠れ)から、さまざまな横槍妨害があったと耳にする。
23日に現在の輪中館館長さんと少しお話をしてみて、これは「私たちの側の一方的な感想ではない」と確信した(館長さんから何か言質をとった、とかではない。「あの頃は・・・でしたよねぇ・・」という会話の受け答えから受けた「私の感触」)。
1999年~2000年頃、揖斐川・粕川が、峡谷から扇状地に出てくるあたり(揖斐川町)の霞堤について言及したら、河川管理者(このときは相手は建設省中部地建と岐阜県)は鼻先で嗤っていた。 「ダムを作り、連続堤にして、河道に洪水を押し込めるのが『正しい』治水だ。シロウトのダム反対論者が、世迷い言を言っている(※)」という感じで。
「伝統的防災施設 西濃地版区 揖斐川・粕川」p10から
この「鼻先でせせら嗤う」延長で、梶原拓・前岐阜県知事は、「徳山ダムができれば揖斐川流域住民は枕を高くして寝られる」=「徳山ダムがあればどんな出水でも河道から水が溢れることはない」かのように言い立てて、2003年~2004年の徳山ダム事業費大幅増額にためらいをみせる県内世論、愛知県や名古屋市を押さえ込んだのだった。
※ 最近聞いた話。長良川河口堰反対運動(第2次)が盛り上がっていた頃、琵琶湖博物館にも力を尽くされた京大の高名なK先生が「輪中地帯の伝統的な住居のあり方などに学ぶべきだ」と発言されたとき、河口堰推進勢力は「河口堰に異を唱える学者は、輪中の者は高床住居に住め、と言う、トンデモナイ奴らだ」とキャンペーンを張ったとか。
その人々は、今般岐阜県河川課が作った「伝統的防災施設マップ」をみたら何というのだろう?
「伝統的防災施設マップ」が、大垣市の「治水課」を素通りしたのは、まだこの頃の主張を維持したい-撤回したくない-のが、大垣市建設部の上のほうに影響力を行使しているから、というのは穿ちすぎか?
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岐阜県にとっては、徳山ダムは「1157億円をかけた治水専用ダム」だ(岐阜県が一般会計から償還し続けているた新規利水分は、将来にわたって一滴も使うあてがない)。
岐阜県にとってはこの額は巨大である。岐阜県全体の10年分、あるいはそれ以上の河川事業費を、揖斐川最上流部のたった一つのダムに注ぎ込んだのだ。
河川事業費推移
何度でも弊ブログ記事をば。
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重い重い岐阜県の徳山ダム建設費負担-シツコク- [2010-11-17 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/14992153/
岐阜県が起債許可団体に [2010-09-18]
http://tokuyamad.exblog.jp/14618511/
「命」の沙汰も金次第? 嗚呼 徳山ダム> [2010-06-28]
http://tokuyamad.exblog.jp/14074558/
続・続・続・徳山ダムの岐阜県負担1157億円!! [2010-05-20 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/13758089/
続・続・徳山ダムの岐阜県負担1157億円!! [2010-04-12 2]
http://tokuyamad.exblog.jp/13398342/
続・徳山ダムの岐阜県負担1157億円!! [2010-03-26 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/13211884/
徳山ダムの岐阜県負担1157億円!! [2010-03-22 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/13175602/
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こんなに明白なムダ遣いダム。私たちの公金支出差し止め訴訟を「行政の裁量の範囲内」として退けた裁判所も罪深い。
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1990年代から、ダム推進勢力にとっては、「輪中研究」「輪中館の拡充」「『輪中』の理解を市民に広げること」は、「困ったこと」「やって欲しくないこと」「やらせてはならないこと」だった。
なかなか鋭いではないか。
河川審議会中間答申 (2000年12月19日 )
「流域での対応を含む効果的な治水の在り方について」
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/past_shinngikai/shinngikai/shingi/001219index.html
これが出てくるまでに、また同時的に(1998年~)、さまざまな報告や提言などが なされている。
国土交通省水管理・国土保全局ホーム >> 政策・仕事 >> 河川トップ >> 審議会等 >> 過去情報
河川審議会について
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/past_shinngikai/shinngikai/shingi/index.html
2000年の河川審中間答申は、決してダムを正面から否定はしていない。
しかし、この中間答申及びそれに先立つ議論に注目しながら、真剣に「見直し」をかけていれば、状況はかなり違っていたのではないか、と思う。
遅くとも2000年段階でまだ建設中あるいは、建設にも至っていない計画中のダムは、客観的にいって「要らないダム」だった。
新規利水の必要性は全くなっていた。水資源開発公団のダムでさえ、主目的が「治水」であるかのような説明しかできない状態だった。
「川の上流にダムを作って洪水をカットし、残りは全部河道に押し込める」治水が、防災と経済効率性の両方からみてどうなのか、が改めて問われて然るべきだだった。環境面からいえば「原則的にダムは作らない」(淀川委提言)の方向となるのは明白だった。
ダム推進勢力にとって、「輪中研究」「輪中館の拡充」「『輪中』の理解を市民に広げること」は禁忌だったのは宜なるかな。
確かに強制収用という手段をもって1999年に本体着工に入っていた徳山ダムは、2000年に河川審中間答申が出されたからといって、工事は止まらなかったのだろう。
「~たら」「~れば」をいくら言っても、できてしまったダムは、簡単には撤去できない。水没してしまった土地は元には戻らない。
それでも、「検証」はし続けなければならない。
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「徳山ダムができれば揖斐川流域住民は枕を高くして寝られる」=「徳山ダムがあればどんな出水でも河道から水が溢れることはない」かのように言い立てたのは梶原拓・前知事-ウラガネづくり+ウラガネ隠しの頭目-だった。
河川というものを知っている河川管理者は、あそこまでの大ウソを自分からはつけない。
だが、あのとき、河川管理者は、梶原のウソを否定しないことで、大ウソに荷担した。
河川を知る河川管理者だからこそ、「否定しないことでウソに荷担する」罪は大きい。
私は、そのことを忘れない。
「徳山ダムができちゃったから」安心して揖斐川流域の「伝統的防災施設」について調査し、言及し、広報するようになった・・・というと、また県河川課のI課長は「近藤さん、それは違います!」と言うのだろうか。
2000年の河川審中間答申より、さらに踏み込んで言いたい。
311の大災厄は、人間がなし得ることの限界を、はっきりと突きつけた。
「洪水は最終的には人為に制禦し得ない*」ものであるのだから、洪水が河道からあふれることを許容する治水-「あふれさせる治水」を行っていくしかない。
* 1976年5月、建設省木曽川上流工事事務所 『台風6号調査報告書』から
「(仮称)滋賀県流域治水の推進に関する条例要綱案」に関する意見
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota7/ryuikiiken.pdf
【別添資料①】内ヶ谷ダム建設事業の検証に係る意見 (近藤作成)
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota7/ryuikibetten1.pdf
Ⅲ-1で引用。
あふれることを許容する治水は、「河川管理者がそう決めた」「行政の裁量だ」で進められるわけがない。
1997年河川法改正、2000年河川審中間答申を、文言上のお題目で終わらせてはならないのだ。
【別添資料③】「河川行政 住民参加を」 (2006.12.5 岐阜新聞記事)
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota7/ryuikibetten3.pdf
6億6000万トンの巨大ダム・徳山ダムができようとも、揖斐川流域で「伝統的防災施設」である-輪中堤や霞堤は大切だ。無くしてはならない(徳山ダムより遙かに具体的に被害軽減に繋がることは確かだ)。
その事実を認め、住民に知らしめるような方向に向いたことは喜ばしい。
過ちては改むるに憚ること勿れ
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岐阜県河川課もようやくここまで来た。
さらに「この先」を考えて欲しい。
「伝統的防災施設マップ」を活用したその先だけでは、地域防災力の向上
伝統的に遊水機能のある場所に倉庫や工場がどんどんできてしまったのは、農業後継者がいなくなり農地が実質的に耕作放棄地になっていってしまったからでもある。
町づくり、地域の産業の保護育成構造などを一体的に考えないと課題の克服はできない。
また諸法令(都市計画法、建築基準法、水防法、河川法)の総合的・有機的結合が必要だ。
だから、滋賀県のように「流域治水推進条例」が必要であり、有効なのだ。
国土交通省水管理・国土保全局から出向中のI河川課長は、今までの課長より格上(?)で県土整備部次長でもある。河川課を超えて「県土整備部」として、岐阜県でも条例制定を検討する良いポジションだと思う。
もしかして、国土交通省水管理・国土保全局が、I氏を岐阜県に送り込むにあたって、そこまで考え、ミッションとしたのであれば、「大したものだ」と褒めたい。
もうダムは要らない。
「流域での対応を含む効果的な治水」が、法令上的も定着していくことを、切に願っている。
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「伝統的防災施設 中濃地区版」p9
「伝統的防災施設 中濃地区版」p17
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