嘉田知事三選不出馬と流域治水 -1 |
★ 中日新聞 2014年5月7日 夕刊
★ 京都新聞 2014年5月7日
滋賀県知事選、嘉田氏が3選不出馬 後継に三日月氏
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20140507000125
【写真】3選不出馬を決断した経緯を説明する嘉田知事(7日午後3時40分、大津市打出浜・コラボしが21)
滋賀県の嘉田由紀子知事(63)は7日、任期満了に伴う7月の知事選(6月26日告示、7月13日投開票)に関し、「2期8年を区切りとしたい」と述べ、立候補しないことを表明した。
民主党衆院議員の三日月大造氏(42)が立候補する方針で、事実上の後継候補として嘉田氏が支援する。
今回の知事選には、前内閣官房参事官の小鑓(こやり)隆史氏(47)=自民党、公明党推薦=、「明るい滋賀県政をつくる会」が擁立する共産党県常任委員の坪田五久男氏(55)=共産党推薦=が立候補表明している。
三日月氏は9日にも衆院議員を辞職し、正式に出馬表明する見通し。選挙は16年ぶりに全員新人の3氏が争う構図が確定的となった。
嘉田氏は7日午後、三日月氏と共同代表に就いた政策研究集団「チームしが」発足を発表する集会に臨み、「県民との約束を実現した。政策の発展は若い世代に託したい」と述べた。
記者会見では、三日月氏との政策協議の焦点になっていた原発問題に関して、隣接県として立地自治体並みの権限を求めていく方向で一致したことを強調した。
嘉田氏は京都精華大教授などを経て、2006年の知事選で新幹線新駅やダム建設の凍結・見直しを掲げて初当選。10年には知事選史上最多の約42万票を獲得して再選された。
12年の衆院選では知事在職のまま「日本未来の党」を結党して代表に就いたが、惨敗した。今年3月には建築規制を伴う流域治水推進条例を成立させた。
三日月氏は大津市出身、一橋大経済学部卒。JR西日本、松下政経塾を経て2003年衆院選で滋賀3区に立候補して初当選し、4期目。7日の集会では「嘉田県政の発展、継承のため、チームしがで多くの県民と運動を進めたい」と県政継承への意欲を示した。
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★ 京都新聞 【 2014年05月09日 22時28分 】
「県政を継承発展」 滋賀県知事選、三日月氏が出馬表明印刷用画面を開く
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20140509000171
【写真】県知事選への立候補を正式に表明する三日月氏(左)と会見に同席した嘉田氏=9日午後6時45分、大津市におの浜・ピアザ淡海
前民主党衆院議員の三日月大造氏(42)が9日、大津市内で記者会見し、滋賀県知事選(7月13日投開票)に無所属で立候補すると正式表明した。嘉田由紀子知事の事実上の後継指名を受けて県政継承を掲げる。政党推薦を要請するかは今後協議するとしている。
三日月氏は「武村(正義)知事、嘉田知事がつくった滋賀の草の根自治を継承発展させたい」と決意を述べた。重点政策は地域資源を生かした経済活性化と雇用創出、新旧公共交通の充実、流域治水に加え、原発再稼働で立地自治体並みの同意条件を求め、嘉田氏同様に原発に依存しない社会を目指す「卒原発」を挙げた。
交通政策では米原-京都間の新幹線新駅誘致を盛り込んだ。嘉田氏による栗東新駅建設中止との整合性を問われると「リニア中央新幹線開通を展望した新駅(の必要性)は嘉田知事も言及している」と説明した。
会見には嘉田氏も同席。選挙への関わり方は「詰めていない」としつつも、三日月氏と握手した写真入りポスターを示し、二人三脚で臨む姿勢を強調した。
三日月氏は9日の衆院本会議で辞職が許可された。民主党にも離党届を提出している。
知事選にはこれまで、前内閣官房参事官の小鑓(こやり)隆史氏(47)=自民党、公明党推薦=と共産党県常任委員の坪田五久男氏(55)=共産党推薦=が立候補表明している。
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まず、滋賀県知事選。この政治情勢で自民党に勝たせてはならない。
その上で、この滋賀県知事選の「流域治水」推進、という側面を考えたい。
「流域治水」「流域治水条例」は、ダムか否か、○か×かという問題ではない。
流域治水条例の大きな意義は、「河川管理」と「防災」と「土地利用/都市計画・建築基準」の縦割りを超える法的根拠(この場合条例)、「横串で刺す」ところにあるだろう。
そして法的根拠だけでは流域治水は進んでいかない。住民と行政が土地の歴史を深く学び合い、その川、その地域についての共通認識、共通理解に基づいて、共に考え、共に進めていくしかないのだ。
「これまでの治水」の大きな欠陥は、ハードかソフトか、あるいは技術的な問題がどうこう、という以前に、「河川管理者がよきにはからう」(逆からいえば「河川管理者にお任せ」「一滴の水も自分の土地には入れるな!」)という思考法にこそ大きな問題がある。
行政(国と地方公共団体では少し位相が異なる)の側も住民の側も、この思考法から脱却するのは容易ではない。
1997年の河川法改正は、河川管理者の側もそのことに少しは気づいたことから始まっている、と私は考えている。しかし明確にそれを言い切らない(役所の諸先輩への遠慮?それとも「今さらそんなことは言わせない」という地方からの反撃か?)まま、非常に中途半端なものとなった。河川法改正を体現した淀川流域委員会の試みも「ダムを否定するのはケシカラン、淀川委征伐!」なるものに巻き返されてしまった。
誰が悪かった、云々以上に、「ダムを作らせてしまったものは何か?」と話は重なると思う。
河川管理者を免罪するつもりは毛頭ないが、河川管理者に「ダム」以外の選択肢をなくさせたのは、(世の中全体の開発至上主義もさることながら)、「手っ取り早い安心安全」を求め「自分の土地だけは、どんな洪水でも一滴の水も…」tという要求を展開してしまった住民でもあった、という側面を直視しないわけにはいかない。
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続く