荒崎水害訴訟終結(2) |

(承前)
① 「速報 平成14年7月10日出水 揖斐川・長良川出水状況」PDFファイル
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota/02.07kisojou.pdf
と

② 荒崎水害訴訟原告団 が2005年に発行したパンフ
「荒崎水害訴訟は何を求めているか」 (表紙+裏表紙)から
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota/panfhyousi.pdf
から、当時の写真をば。
まずは、2002年7月10日朝にヘリコプターから荒崎地区を写したもの。 ①

同じく杭瀬川・牧田川、水門川が揖斐川に合流する部分。① 下は同年4月の同じ場所。


大谷川は相川と合流し、杭瀬川に注ぐ。杭瀬川は牧田川に合流し、揖斐川に注ぐ。
上の写真を見ても、水害常襲地帯である荒崎地区の被害を極小化するために、直轄区間河川管理者(国土交通省中部地方整備局)が優先的に努めるべきは、杭瀬川・牧田川の河道改修であって、「徳山ダム早期完成」ではないことが明らかだ。
まして、「特別会計の項の間の移用」という特殊な(滅多にない)手を使って、2004年度予算としてこの部分の河川改修に当てられていた予算を、当初予算にはつかなかった徳山ダム建設工事に回すなど・・・言語道断。
地域住民の悲願を裏切って
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota/arasaki-tisuitokkai.pdf
少し横道。
2002年7月10日朝、私は、岡山の矢山有作さんから「あんたの家は大丈夫か?」とお電話頂いて起こされた。TVの朝のニュースで「岐阜県大垣市」と報道されたので、ご心配頂いたのだ。
が、私は「何が?」という感じだった。
前の晩に強い雨が降った・・・だが強雨はそんなに長くは続かなかった。夜中にウチの裏の牛屋川を眺めた・・・水位は高いが、溢れそうというほどではない。ただ流れが遅いので水門川との合流部から先の流れが悪い・・・つまりは杭瀬川・牧田川、さらに揖斐川の合流点の水位も高いであろうとは感じた。また、1992年に荒崎地区で大規模な浸水被害があったこと、「洗堰」が原因であること、さらにそれが徳山ダム必要論に使われていることは、知識としては知っていた。
だが牛屋川の様子からは危険を感じるほどではなく、その後、大垣市の中心部では目が覚めるほどの強雨は降らなかった。
1976年のときのような「4日連続の強雨」というような特別な場合ではない。大垣市中心部に住む住民の「体感的」印象からすれば2000年の東海豪雨に比べても大雨とはいえない。
つまりは、非常に地域限定的な降雨であり、「洗堰-越流堤」という施設が存置されることで起きた浸水被害なのである。揖斐川本川の水位がどうこう、という話からはかなり縁遠い。
ちなみに揖斐川基準地点・万石での高い水位は、根尾川流域に500mmもあった降雨に大きく影響されている。このときの基準地点・万石上流の流域平均降雨は322mm/2日だったそうである(325mm/2日が1/30なのだそうだ)。「徳山ダムの治水容量を膨らませ、横山ダムと連携すれば、基準地点・万石の流量を1/100の基本高水流量3900㎥/secに押さえられる」として、2004年に、河川法16条の2を僭脱して作った「(揖斐川)新洪水調節計画」によっても、3900㎥/secを遙かに超えて4780㎥/secになってしまう計算である。つまりは河川管理者の計画の仕方、計算の方法では、「徳山ダムを作っても、1/100の洪水には()必ずしも)対応できない」ということになってしまうのである。
当たり前といえば当たり前。揖斐川最上流部の巨大ダム・徳山ダムで、揖斐川流域の洪水に対処しよう、という考え方が不合理極まりないのだ。
話を戻して。
2002年7月10日の大谷川洗堰(越流堤)。
①から

②から

荒崎地区の浸水被害状況。
①から


②から


◇ ◇
この項、続く。
