荒崎水害訴訟終結(5) |
(承前)
水害訴訟において、かの「大東水害訴訟最高裁判決/河川管理の特殊性論」を突破するのは、なかなか難しい。それは提訴のときからわかっていた・・・訴状で「国家賠償法2条」に言及したのはそのことを考えたからでもある。
<参照-繰り返し->
•荒崎水害訴訟控訴審不当判決、そして・・・[2013-11-06 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/20794389/
襖に残る浸水痕を示す原告・佐藤さん。
掘り込み式の平野川が溢れた大東水害とは異なる原因・態様の水害が、一様に「河川管理の特殊性」という行政免罪の言葉で括られて良いのか?
原告の人たちがあれほど資料収集と事実解明に尽力した新川決壊水害訴訟おいても、やはり原告敗訴であった。「お囲い堤」さながら名古屋市内を守るために大きな河川から小さな河川へと人為的に洪水を流入させて破堤に至ったのだった。その責任は封殺されて良いのか?
「洗堰-越流堤」を存置しながら行政主導の住宅開発を行って荒崎地区を水害(被害)常襲地帯としてしまった行政の責任は全く問われなくて良いのか?
とはいえ、厚い壁を破るのは、法廷での争い以上に、住民の力である。
流域住民が、川のもつ多様な側面-自然の恵みと自然の猛威-をともに知り、向き合い、付き合い方を学び、河川管理者を「教育」していかねばならない。
私たちは、「人間の科学技術の発展」を盲信した「近代」に、今復讐されているともいえる。
近代以前の「あふれることを許容する治水」の将来的な意義と意味を、問いなおす時がきているのだろう。
◇ ◇
この項、終わり。