満面の水 どう使う-朝日新聞記事を巡って- (3) |
(承前)
•満面の水 どう使う-朝日新聞記事を巡って- (1)[ 2015-02-22 18:02 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/23707840/
•満面の水 どう使う-朝日新聞記事を巡って- (2)[ 2015-02-22 17:25 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/23708479/
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以前から何度も書いたことをざっとおさらいしたい。
まずは2002年の荒崎地区の甚大な浸水被害とその後の荒崎水害訴訟について、およその概念を捉えて欲しい。
下の図は以下の論文から。(この論文は「河川管理者を免罪する」意図が見え透き、と私は思う)
土木学会第58回年次学術講演会(平成15年9月)
低平地における洗堰遊水地の効果
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2003/58-2/58-2-0053.pdf


弊ブログ内に関連情報テンコ盛り。
カテゴリ:荒崎水害と流域治水 http://tokuyamad.exblog.jp/i11
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大谷川の左岸、綾里・静里輪中は古い輪中である。
以前は、大谷川右岸は無堤で、川から十六輪中までの間にはヨシ原が広がっていたらしい。輪中を守るための遊水地だったのだ。

上の図は、下の論文から頂いた。この論文は一読の価値のある論文と思う。
荒崎水害訴訟控訴審判決(岐阜県大垣市)に関する判例研究
http://www.kiu.ac.jp/organization/library/memoir/img/pdf/hou20-1-003kohyama.pdf
神山 智美Kohyama Satomi 九州国際大学法学部
九州国際大学法学会 、 九州国際大学法学論集 、 2013年12月 、
また大垣市のHP内にあるらいきものから以下のものを発見。
http://www.city.ogaki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000009/9716/021gennkyou.pdf

多少脱線するが、十六輪中について。
大谷川右岸の十六輪中も古い輪中である。典型的な「輪中」集落として残っている。ここは洗堰からの越流があるときは陸閘を閉めて(県道を封鎖して)集落を守っている。十六輪中住民は、住宅開発によって後からこの地域に転入してきた住民に対しては概して冷淡である。「自分達の先祖は地力で輪中堤を作り、自分達自身も水防活動で自助努力をしているのだ」と言いたいのだろう。
「治水」を巡っては、歴史的経緯の認識の差が、対立を招いてしまうことがある。
カネと科学秘術で自然をねじ伏せられる、という「近代」イデオロギーこそが大問題をだったと思うが、このイデオロギーはいまだに人々の間に根を下ろしている。
戻る。
戦後の食糧難の時代、「この場所も水田開発するべき」ということになって、1954年に、左岸より低い堤防と越流堤が築かれ、大谷川右岸も農地になった。
とにもかくにも堤防ができたので、以前よりは浸水は減った。元々遊水地としての機能をもたされていた場所に、ぽつぽつと工場や倉庫やが建ち、そのうちにそこを住居にする人も出てきて…。
そして今度は行政主導の宅地開発が行われた。
1973年に、県営荒崎団地への入居が開始している。この団地は高い盛り土の上に建っている。いわゆる鉄筋アパートなので、1階の床の高さも戸建て住宅よりずっと高い。40年以上経ているが、がこの団地では、ぎりぎり床上浸水は発生していない。別の見方からすれば、この高さまで盛り土し、高い床の建物にしなければ床上浸水がありうることを、行政は知っていた、ということだ。
1975年には大垣市がこの地域を市街化区域に指定。大垣市住宅供給公社による分譲地造成、分譲が行われた。「優良な宅地」という触れ込みであった。民間による宅地開発も進んだ。
この頃に他地区から荒崎地区に入ってきた人々は、洗堰(越流堤)の存在を、つまりは大きな出水のときにはここから洪水が流れ込んでくるようになっていることを、知らされていない。
年末に市街化区域指定のあったこの1975年には、8月に台風6号による大浸水被害があった。
この水害に報告は、建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所『台風6号調査報告書』1976年5月p63~68でなされており、特にp67において、
「当地区(注・大垣市荒崎地区のこと)は従来からの遊水池であり本来ならば家屋の建て得ない所である。当地区は下流部に牧田川、杭瀬川の狭窄部があり大谷川、相川の水がはけないために一時遊水地域として昔より利用されてきた所である。………当地区もいずれは締め切られるであろうが、締め切られるまでには、杭瀬川高淵の引き堤、相川、大谷川合流点から杭瀬川までの河道改修が行われた後になろう。そうでないかぎり、この洗堰を締め切ればその結果として、他の地区にその効果がおよび、より以上の災害が起こることは必至である。又、洪水は最終的には人為に制禦し得ないという立場をとるべきであり、超過洪水(計画規模を越えた洪水)が発生した場合により被害を小さくするにはこのような遊水地域はぜひとも必要である。」
と述べられている。
最近「日本国際賞」を授賞された高橋裕氏は、2002年洪水の後「かって両岸の堤防の高さが違う河川は多く、低い方に家を建てなかった。1960-70年代にそういう所も宅地化が進んだ。水があふれるに決まっている場所を、市街化地域に変更したのが間違い。岐阜県は荒崎地区だけでなく対岸や下流の住民と専門家でつくる委員会を設け揖斐川や周辺河川も含めた新しい形の総合治水を考える必要がある。」(中日新聞2002.8.5夕刊)と指摘している。高橋裕氏の同様の指摘は、1982年9月20日付け朝日新聞に「弱いのは長良川だけではない/七六年台風一七号災害の教訓-」にもある。
この地の支派川は上流からの合流部の河積が狭小で、下流への流れを抑える構造がある。この構造が、下流への洪水圧力を低減し、揖斐川本川の洪水を低減させる効果があった。地形的な遊水機能とでもいうのだろうか。こういう地域での住宅開発は慎重でなければならなかったはずだ。
「国・建設省」内部からも出ていた懸念、「洪水は最終的には人為に制禦し得ないという立場をとるべきであり、超過洪水(計画規模を越えた洪水)が発生した場合により被害を小さくするにはこのような遊水地域はぜひとも必要である」という警告は、しかし政策としては無視され続けた。
まだ高度成長の幻想が残り、科学技術至上主義の気分が抜けなかった時代。揖斐川上流ダム群(牧田川上流・一之瀬ダム、根尾川上流・黒津ダムと徳山ダム。”ダムに頼る”治水観であったにせよ、本川最上流部の徳山ダムだけに洪水調節を頼る、というメチャな話ではなかった)の建設も、河川改修も堤防整備も、10年か20年のうちには全て完了するだろう、と、国、県、市の大多数の役人も信じていたのかもしれない。カネと技術で自然をねじ伏せるのが「人類の発展」だ、と。
実際は、カネばかりかかって効果の少ないダム(大谷川の場合、最も関係深いのは一之瀬ダム)は具体化することもなく計画から消え、揖斐川の大きな洪水の常襲箇所である牧田川・杭瀬川合流部の河川改修はなかなか進まず…
大谷川右岸堤は「左岸堤より低く、かつ越流堤が設けられ、洪水は右岸に流れ込む」形が維持され続け、荒崎地区住民は度重なる床上浸水被害を被り続けることになってしまった。
大谷川左岸の地盤高は右岸より低い。綾里・静里輪中の人たちからすると、「左右両岸の堤防の高さを同じにする」ということは、自分達の川をより脆弱にすることになる。簡単には呑めない。越流堤を設けて洪水を早めに対岸に出してしまうことは、右岸築堤を認めたときの前提条件だったはずである。
「俺んたの先祖が輪中を作り、守ってきたんだ。後から来た者のために譲ることはできない」
左右両岸の住民の意見は対立的に膠着してしまう。
ここに「徳山ダムさえあれば水害はなくなる」という宣伝が滑り込んだ。
古くから洪水に向き合ってきた住民は、上の①~⑥の論法の出発点である「① 徳山ダムの効果」を」を丸々信じてはいなかったと思う。だが、地域の鋭い対立をとりあえずおさめる「落としどころ」として「徳山ダム」は都合が良かったのだろう。
2003年~2004年のの事業費大幅増額問題の頃、荒崎地区の自治会が「徳山ダム早期完成要望」の署名を、ほぼ強制的に全世帯から集めていた。中部地整の担当者は「大垣市の中からこれだけの要望があるのだから(建設を進める)」という言い方をしたので、大いにキレたことがありる。
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荒崎地区は「流域治水」の考え方が必要な場所だ。ダムと堤防(河道主義)では対応しきれない。
2007年か2008年の初め頃だったと思う、滋賀県の「嘉田知事与党会派」の県議が数名で、徳山ダムと荒崎地区の視察を行った。流域治水条例策定の参考になった、と聞いている。
カテゴリ:荒崎水害と流域治水 http://tokuyamad.exblog.jp/i11
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3月7日(土)に流域治水条例に関するシンポジウムが京都で開かれるらしい。
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水資源環境学会の研究会/ニューズレター.
http://jawre.org/publication/newsletter/67.pdf
【話題提供】
「滋賀県流域治水条例のポイント」
辻 光浩 (滋賀県土木交通部流域政策局流域治水政策室・主幹)
「滋賀県流域治水条例を可能にした法的枠組とその一層の展開」
在間 正史(在間EP法律事務所・弁護士)
【日 時】2015年3月7日(土)14:30~18:00
【場 所】キャンパスプラザ4階 第4講義室
http://www.consortium.or.jp/ 京都市下京区西洞院通塩小路下る 〒600-8216 電話075-353-9100
【交 通】JR京都駅京都駅中央改札口を出て西方 へ徒歩3分
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辻 光浩さんは、滋賀県の流域治水条例策定の中心を担われた方。
なかなか厳しい日程*だが、お話を聴きたいと思う。
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この稿、一応終わり。