個人情報非開示、審査請求への棄却裁決書(4) |
•個人情報非開示、審査請求への棄却裁決書(1) [ 2015-10-17 23:26 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/24581374/
•個人情報非開示、審査請求への棄却裁決書(2)[ 2015-10-18 23:27 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/24584688/
•個人情報非開示、審査請求への棄却裁決書(3)[ 2015-10-19 12:14 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/24585836/ の続き。
◇ ◇
裁決書を見るにつけても、「国家あっての国民」「国家を守ることこそ最優先」の思考法がよくわかる。
「天皇の警察」を「国家の警察」と言い換えても変わらない。
特高警察を解体し、自治体警察を創設したGHQの日本警察民主化の方針は、GHQ自身の占領政策貫徹の必要性と内務官僚の強い抵抗で、空洞化した。
1947の警察法は1954年の警察法全面改正で、結局はどの省庁よりも強い中央集権組織となった。
それは政治警察・秘密警察の復活・強化の道でもあった。
今でも警備公安警察こそが警察の花形なのである。(この8月、警察庁警備局長が警視総監に昇進した)
さらに、特定秘密保護法、日本版NSCで、公安畑出身の内閣情報監が枢要な位置を占めることになった。
彼らにとっては「泥坊の一人や二人をつかまらなくても(共産党の)追放幹部を捉えることの方がより重大」(1952年、東京警察管区本日警備部長)という感覚なのであろう。「市民の安全のため」は下位で、国家の安全のためが上位。
この棄却の裁決書にも「公共の安全と秩序の維持(=国家意思貫徹)のためには人権なんて知ったことではない」という思考法がよく顕れていると感じる。
そして、それを”世間”にも裁判所にも認めさせようという意思も露わだ。
◇ ◇
10月22日、審査請求の当事者4名連名の声明を出し。
大垣警察による市民の監視を容認する裁決に対する抗議声明
私たちは、岐阜県警(大垣警察)によって個人情報を収集され、私企業(シーテック社)に故意に漏洩された当事者です。私たちは、県警本部長に対して、収集した個人情報の開示請求を行いましたが非開示処分を受けたため、その取り消しを求める審査請求を行ってきました。しかし、岐阜県公安委員会は、2015年10月9日、私たちの請求を棄却し、県警本部長の非開示処分を追認する裁決を行いました。
その理由は別紙の「裁決書」のとおりですが、これは要するに、あらゆる「不測の事態」に備え、警察に、必要と認める情報の収集を認めるに等しいものです。まさに監視社会を容認するものと言わなければなりません。
私たちは、到底、この裁決書を認めることができません。
日本国憲法は、国民一人ひとりに基本的人権を保障しています。これには、プライバシー権、思想・良心の自由、表現の自由などが含まれています。警察による市民の監視は、このような基本的人権を著しく侵害するものです。
また、裁決書が、反対運動・市民運動を犯罪行為の温床であるかのように見ていることも重大な問題です。反対運動・市民運動は表現の自由の一環であり、手厚く保障されなければなりません。「不測の事態に発展するおそれがないとは言えない」などという漠然たる理由で、監視の対象にされることは許されません。これを認めることは、警察による思想調査を認めることにつながってしまいます。
そもそも公安委員会は、警察の民主的運営と政治的中立性を確保するための独立した行政機関であるにも関わらず、私たちの個人情報について、シーテック社の議事録があるからといって、警察が個人情報を記録している公文書があるとはいえないなどということは、警察を擁護するものであり、個人情報保護制度の根幹を否定するものと言わなければなりません。
私たちは、警察による私企業への個人情報の提供が地方公務員法に違反するとして岐阜地検に告発をしていますが、さらに、岐阜県(県警)に対する国家賠償請求訴訟を起こす準備を行っています。警察による情報収集と情報提供はまっとうな市民活動を監視するものであり、憲法に違反する重大な違法行為であることを明らかにしていきたいと考えています。
多くの皆さんが引き続き関心を持っていただけるように切望します。
2015年10月22日
MS、MT、FN、近藤ゆり子
◇ ◇
