大西暢夫さん「ここで土になる」に関連して(1) |
22日に大垣駅前で「脱原発金曜行動」でスタンディングをしていたら、岐阜県池田町で暮らす写真家の大西さんが通りかかられ、声をかけて下さいました。数分、立ち話。
五木村の大銀杏と老夫妻の物語-「ここで土になる」が、夏休み課題図書に選ばれたそうです。
「ここで土になる」 大西暢夫 (アリス館)
http://www.alicekan.com/books/post_60.html
翌日、大垣市内の本屋さんで「ここで土になる」を買いました。
「さすが、課題図書!」で目につきやすいところにありました。これまで、私の欲しい本が近くの本屋さんの店頭にあった試しがないので、ちょっと感動。
(余談:店頭にないので注文する、2週間とかかかってしまう。2週間も待つのは適わないので、ついついネット通販を利用することになる。ネット通販ばかりが隆盛して、地域の「お店」がなくなってしまうのは心が痛むが・・・。「どうしたもんじゃろの-」)
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五木の子守唄で有名な熊本県五木村は、危うく川辺川ダムで水没してしまうところでした。
清流川辺川を守りたい、未来に伝えたい、という多くの熊本県民の声で2008年には、(どう考えても本当はダム推進勢力側としか思えない)蒲島知事が「熊本県としては中止としたい」という方針を出して、中止となりました。
蒲島知事の前の知事、潮谷知事は、県内各地で何度も重ねた「県民討論集会」を開催して、川辺川問題を県民全体で考え、討論する姿勢を示してきました。国交省河川局に「亜hン道野荒らし」の中、「球磨川河川整備基本方針」」への意見でも強く熊本県の立場を述べていました。
この潮谷知事のあとをついだ蒲島知事の姿勢は、かなり不安なものでした。蒲島知事は、なぜか東京の「有識者」に議論を委ね、そ「有識者会議」の意見を尊重する、と言いました。「有識者会議」の議論はわかりにくく、出てきた「有識者会議」意見書さえも玉虫色でよくわからない・・・地元紙・熊本日日新聞の「継続すべし、という結論か」という観測記事などもあって、ヒヤヒヤしながら推移を見守りました。
結局、蒲島知事の出した結論は「(国に対して)中止を求める」でした。熊本の人たちの、粘り強い運動の成果を覆すことがでいなかったのです。農家を訪ね歩いて証言を集めた「川辺川利水訴訟」の完勝(2003年、福岡高裁判決確定)、塩谷知事の下で多くの県民が佐那Kし、中止した重ねた熊本県主催の「県民討論会」。はじめは「推進」だった流域自治体の姿勢も変化し、「反対」を鮮明にする首長が何人も誕生していました。
子守唄の里・五木を水底に沈めるな!という声が通ったのです。
・・・でも長い時間がかかりました。村の中心部は高台に移転しました。昔の佇まいはありません。
筆者は199年と2007年の2回、五木村を訪れています。
2007年のときは、イラク派兵差し止め訴訟・熊本の証人尋問の傍聴を主目的に熊本に行ったのですが、是非、五木村をみたいと、中嶌康さんにご無理を言って案内して頂きました。
上流の峠から川辺川を下って五木村を通り、相良村で毛利さんのお宅を訪ね、萩原堤防のところでつるさんにお会いする、贅沢な旅でした。
しかも、この日は参議院でイラク特措法の延長が可決されてしまいそうな日。可決されたら名古屋で抗議情宣をするので、可決の確認をしたら名古屋の仲間に電話をする役割を担っていました。DOCOMOの携帯は基地局が多いから大丈夫と思ったのですが・・・川辺川上流の峠あたりから五木村までは「圏外」。五木村でお昼のお蕎麦を食べているときに東京から「可決」の電話を受けることができました。「ここから下流は車での中から電話できる」と思って車に乗り込んだのですが、またまた「圏外」」。相良村の毛利さんのお宅の近くでようやく名古屋に電話をかけることができました。
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1996年、スイトピアセンター使用許可取消事件のとき、川辺川ダム反対運動に関わっている方達が、たくさん大垣市に抗議のファクスや手紙を出して下さいました。
・ 憲法!1996年大垣市スイトピアセンター使用許可取消処分の執行停止申立事件 [2009-01 -16 17:17]
http://tokuyamad.exblog.jp/10144308/
以来、私の中には、ずっと「川辺川ダム」中止の運動を担った熊本の方々への敬意と感謝の気持ちあります。
大西暢夫さん「ここで土になる」に関連して(2)
http://tokuyamad.exblog.jp/25489063/
に続く。
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