7月8日 発起人・賛同人会議in関西-10・8山崎博昭プロジェクト |
10・8山崎博昭プロジェクト
http://yamazakiproject.com/
1967年から50年、半世紀。
確かに1967.10.8(ジュッパチ)は私にとっての(私たち同世代にとっての)「始まり」であった。
無視できないと感じて賛同人になった。
7月8日、大阪で「発起人・賛同人会議」があるというので出かけてみた。
レポートは以下にアップされた。
[50年を経て 今、世代を超えて語り合おう」(2017.7.8、大阪)
http://yamazakiproject.com/from_secretariat/2017/07/14/3539
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弁天橋から遠くないお寺に碑を建立した、とのこと。
建碑式の報告があった。


だが私には、ジュッパチという日は身近に感じるが、「羽田/弁天橋」には特に思い入れはない。
1969年11月の佐藤訪米に対して「東大全共闘部隊」で阻止行動に行く、という方針に私は反対した。それは全共闘運動を「終わり」にするための(それぞれの人にとっての)免罪符になってしまうことは目に見えていたから。
あえて今から言えば、「終わり」にしたい者を無理に引き留めたところで、何も生まれはしない。羽田に行って、殴られ蹴られ、あるいは捕まって、そうして自分に「幕引き」ができるなら、それはそれなのかもしれない、と思う。ただ私は、終わりたくなかった、終わりにできなかった。
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今、若い研究者にとっては「1960年代、70年代」は歴史的な研究の対象らしい。
そのときを走り抜いた自分達は、きちんと記録がもできず、いまだ「総括/理論化」はできていない。「自分達が生まれるよりずっと前の出来事」として記録や分析の対象とする人々がいるなら、それに委ねたい。未来に活かすかどうかは未来を生きる人たちにかかっているのだから。


四十数年ぶりに山本義隆さんに会った。

この先四十数年後に,私たちは何を残せているのだろう?
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