2017年ベトナム行(1) |
1967年、高3の10月8日。
全く政治ッ気のなかった千葉高でも翌日の1時間目は全校でクラス討論となった。
そして例えば象徴的には「佐世保エンプラ」のようなベトナム反戦の街頭闘争の盛り上がりがあり、ベトナムでは圧倒的な物量を投入した軍事力ででベトナム人民を屈服させようとするアメリカに対して「テト攻勢」という目に見えるベトナム人民の反撃があった。
◇ ◇
4月下旬に、私にとっては、かなり唐突に、「ホーチミン市戦争証跡博物館」展示会へのご案内」という事務局からのメールが届いた。
8月19日ー24日という日程。
8・19には「岐阜総がかり行動実行委」で集会とデモを行う予定になている。
これには断固「不義理」をすると決断して申し込んだ。
(結局、ひょんなことから8・18に山城j博治さんを岐阜に招いて講演会を行うことになり、8月18日の深夜までバタバタしてから、翌日の始発で関西国際空港に向かった。チェックインの長い列を待って、何とか搭乗に滑り込み)
◇ ◇
<8月19日>
空港からホテル(市内中心部。ドンコイ通りがサイゴン川にぶつかる近く)に向かう途中、通りに面してフランス植民地時代の建物がいくつもあった。
北爆で徹底的に破壊されたハノイとの風景の違いの一つなのだそうだ…それがまた南北に長いベトナムの、北と南の関係を複雑にしている一つの要因でもある、と仄聞している。



この後、バスであちこち移動したが、どこでも「いっぱい」である。
ホーチミン市の人口約900万人に、670万台の単車があるのだとか。

歩行者はその間を悠々と渡る。
この芸当に慣れるのには数日では足りない。
「自分で出歩く」ことはほとんどできなかった。
当然、街中は渋滞と排気ガスで大変。その問題を解消するために地下鉄工事が進んでいる。
日本のODAで…と聞けば、「日本企業が請け負っているのね」と思う。実際に請け負っているのは清水建設なのだそうだ。
きっと「国内うよりも遙かに利幅が大きい、丸儲け」なんだろうなぁ。

◇ ◇
サイゴン川のディナークルーズ。




なんだろう?
◇ ◇
続く。
