2017年ベトナム行(3) |
承前
<8月20日-2>
50余人の「訪問団」である。集合の確認もなかなか大変。
19日のディナークルーズで偶然同じテーブルになった5人~7人くらいをまとめ、リーダーを決めて1~9版を作り、それぞれの実際の出発地がどこかにかかわらず、リーダーが「関西空港発組(関西組)」なら「関西組」と呼ぶことにして、「関西組」「関東組」で大体同じ人数になるようにした。
さて20日は、オープニングセレモニーの後、「統一会堂」(旧サイゴン政府の大統領宮)の見学が予定されていた。
16時までに入館しなければならない、ということだったが、戦争証跡博物館でのイベントが遅れ込んで、先発の「関西組」は戦争体験者からお話しを聞いているさいちゅうに博物館を後にしなければならなくなってしまった。
「最後の山本(義隆)さんの締めの感謝の言葉が良かったよ」と「後発/関東組」のに聞いて、ちょっと残念。
◇ ◇

要らないと思ったけど、あえて「記念写真やさんの写真」というのもいいか、3万ドン(約150円)を払って焼き増しを買った。
A4判のデッカイもの。正直、とっておく場所がない。こうしてスキャナでPCに読み込んだ後は捨てることになるか、と。

1954年のディエンビエンフー陥落後に行われたジュネーヴ協定締結後にフランスが撤収し、1955年にベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後には「独立宮殿」と改名された。
1962年2月8日にゴ・ディン・ジエム政権に対して起こされたクーデターの際に、ベトナム共和国空軍将校が操縦する2機の戦闘機による爆撃を受けて大破した後に取り壊された。
1966年に現在の建物が作られたときには、ゴ・ディン・ジエムはすでに殺害されていた。
その後、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸に使用された。


「我が人民が打ち倒したのは酷い政権だった」という宣伝にもなる、というのはよくわかる。
大統領執務室からは地下に抜ける秘密の抜け道もあったようだ。


1975年4月8日には、北ベトナム軍が鹵獲したノースロップF-5戦闘機による爆撃を受けた。同年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車が当時は大統領府であったこの建物のフェンスを破り突入。現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されている。

夜、ホテルで同室となった関さん(元編集者)のお知り合いの佐々木幹郎さんに案内して頂いて、かのマジェスティックホテルで食事をすることになった。
ベトナム戦争のさなか、日本の大新聞社の特派員が常駐した宿。
開高健氏もここに逗留しつつ、戦場を取材した。
彼もよく利用したという最上階のレストラン。
入口に掲げられている開高健氏の写真の前で。

「暮れなずむサイゴン」「黄昏のサイゴン」。

特にここ20~30年は「開発」が進み、高い建物がどんどん建って、随分景色は変わったのだろう。
でもきっと空と流れは変わっていない。

ベトナム定番のフーを食べた。この後毎日のようにフーを食べたが、ここのが一番美味しかった。
◇ ◇
野暮ではあるが、ネットで拾った画像で、マジェスティックホテルの「説明」。





続く。
