2017年ベトナム行(5) |
<8月21日-2>
移動途中のレストランで昼食を摂った後、ツーズー病院に併設されている「平和村」へ。
米軍がベトナム戦争中に全土にまき散らした枯れ葉剤を原因として、世代をまたがる後遺症に苦しむ人々がまだたくさん居る。
1975年に戦争が終わってから42年も経つが、米軍が遺棄した(所在が定かで内)枯れ葉剤はまだ各地に残っており、容器の腐食などによって水源を汚染し、新たな被害が発生し続けている、という。
こうした子ども達の施設「平和村」がベトナム各地にある。
ホーチミン市のツーズー病院は、産科の病院としてはベトナム有数の病院である。
この一角にも「平和村」がある。
他の「平和村」と比べても重度の障害をもった子ども達が多いという。



下の写真の右端は、子ども達に贈り物をして記念撮影する水戸喜世子さん。

下の方の階には、激しい奇形で生まれることができなかった胎児の堀マリン付け標本がある。
直視できない、とほとんど見ることが出来ない人もいるが、私はkぉういうときは「白衣モード」(血や傷を見ても、遺体を見ても、一種職業的冷静さで対応して動揺しない)に入ってしまえる。・・・しかし凄まじ。
今は超音波診断で。妊娠の比較的早い段間で奇形を見つけることができ、結局はそうした子どもは生まれない、という。
簡単に「出生前診断で中絶するのは生命の音源が・・・」とお説教がましくいえるものではないが、同時に「早く分かればてゅうぜつできて良いね」というものでもない。
複雑な重いがある。
それにしても・・・「枯れ葉剤」って、要するに国際条約で禁止している化学兵器そのものではないか。
「木々を枯らすことを目的としたのであって、人を殺傷することをもくてきとしたものではにあるから化学兵器に当たらない」という理屈なのだろうか(そりゃ詭弁だ)。尤も、アメリカは未だに因果関係を認めないのだそうだから、詭弁以前なのだが。
◇ ◇
続く。
