2017年ベトナム行(7) |
<8月23日>
この日は、越南滞在最終日。夜中のフライトで帰途に着く。
一応「10・8山崎博昭プロジェクト ベトナム訪問団」の「解団式」という名の夕方の食事会までは全くフリー。
1万部印刷した8ページだて英語パンフ。交渉で展示室入口に置くことができるということで、前日から、訪問団の中で手分けして2つ折りと組み合わせをしていたが、それでもまだ1000部くらい残っていた。同室の関さんも私もこの手の”ムスケル”は得意なほう。一緒に5階のラウンジで、折りと組みをかなり能率的に仕上げた。
◇ ◇
で、昼間の時間をどうするか?
互いに隣り合っている歴史博物館と動植物園に行ってみようということでタクシーに乗った。
ちょっと驚いたのはタクシーの運転手さんが、場所をあんまりよく知らなかったこと。外国人観光客はあまり行かないところなのだろうか?
それでも歴史博物館には一応日本語のリーフが於いてあった・・・展示品を理解するための役には立たなかったけど。
サイゴンもまた戦場になったが、ハノイのように空爆はされなかった。だからこういう建物がいくつも残っている。そのことがまた南と北に今も残る複雑な感情の要因の一つなのかもしれない。
中庭の庭園で。
ただしここにある武器は、どうみても19世紀頃のもの。
展示のモノを見ることはできたが、繋がりや意味はほとんどわからない。(若干は英語で表示されているが、こちらのベトナムの歴史についての知識が乏しすぎて「わからない」)
この博物館の展示は、20世紀にの始めのほうで途切れている。
古い時代の中国との戦争はジオラマで展示されているが、日本軍の侵攻やも一次インドシナ戦争もベトナム戦争は登場しない。
そうした近現代の歴史については別の博物館で展示されているらしい。
建物の裏側(同時に動植物園の入口に向かう出口なのだが)にて。
動植物園へ。
が、動物の檻やケージは空のものも多いし、植物はただ雑多に生えているだけのように見える。
説明らしきものの掲示もごく少ない。
説明の掲示があってもどうせ読めない者にとっては、「何も考えずにのんびり散歩をする」のに丁度良かったといえるかもしれない。
動物(特に鳥類)は、放し飼いのものが多かった。
ラクダ。
じっと動かず、かつ地面の色と同じでありすぎて、デカイのになかなか存在に気づけなかった。
ワニはたくさんいたが、どれもじっとしていて動かない。心配になってしまうほど長い間(私たちが見ている10分か15分)、どのワニも動かない。横から喉の下の動きがみえる個体は「ああ呼吸している、生きている」と分かるが。ワニってここまでじっと動かないものなのか。
これはホワイトタイガー?
何をどうする、というのでもないのっmびりした時間を過ごせた。
園内には食事場所はなく、売店でアイスクリームを食べたくらい。
外に出ても、すぐに食堂的なものは見つからず、コーヒーショップのようなところに入って、拙い英語で「食べ物もありますか?」というような質問をしたら「ある」というふうに受け取れる返事があったので、「コーヒーとそれ」と注文したが、出てきたのはコーヒーだけ。
それも目の前に置かれたポットのようなものをどうして良いのか分からず、お店の人にそれを「解決」してコーヒーを飲むのにまた一苦労。
(どうやらベトナムのお店では普通の出し方・飲み方らしい。「知らない」「言葉も分からない」観光客がフラっと入ったのが(お店にとって)良い迷惑だった、ということみたい)
結局、ホテルに戻るまで食事は摂り損なってしまった。
◇ ◇
夕方「解団式」の夕食会場へホテルからぶらぶらと移動。
夕食会が終わって、ホテルから空港に行くまでに少し時間があった。
ミーハーよろしく山本義隆さあんとツーショット。
60年代末から70年代前半。
南ベトナム民族解放戦線の戦いがあって、私たち-そして多分世界中の若者達-は励まされ、勇気づけられた。
(私にとっては中国の文化大革命の影響も大きかったが-心情マオ派ノンセクト-)
70年代半ば、アメリカがベトナム戦争で完全に敗北した後、しかしインドシナ半島に穏やかな平和が訪れたわけではなかった。
中国では文化大革命の負の部分がどんどん表に出てくる一方で、周恩来首相が亡くなり、毛沢東主席も亡くなった。
日本の青年学生の闘いは、見えなくなってしまった(「消えた」とは言いたくない)。
ソ連邦が崩壊した後、世界中で「マルクス・レーニン主義」を掲げて闘った者達は、「ロシア革命とは、ソビエト連邦とは、一体何だったのか」の総括を出し切れていない。
新自由主義が跋扈し、まさにグローバルな規模での露骨な搾取が横行する世界が、このままであって良いはずはない。
人生の残りが少なくなってしまった私たちは、オルタナティブな未来に向かって、どういう寄与ができるだろうか?
あの頃の闘い無意味にさせない「何」を提出できるだろうか。
「答え」が出ないからと言って、私は諦めはしない。
1995年、「答えが出ないから動けないとは言っていられない。運動を作ることでしか借りは返せない」と思ったその時の決意は変わらない。
闘うことが、運動し続けることが「答え探し」であるとも言える。
10・8(ジュッパチ)から50年。
あの頃の闘いを無意味だったとは言わせない。
「(未来に生まれる人も含めて)私たちは決して負けない、なぜなら勝つまで闘い続けるからだ」。
◇ ◇
「2017年ベトナム行」これにて了。
• 2017年ベトナム行(1)[ 2017-09 -01 ]
http://tokuyamad.exblog.jp/28114108/
• 2017年ベトナム行(2)[ 2017-09 -02 ]
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• 2017年ベトナム行(3)[ 2017-09 -03 ]
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• 2017年ベトナム行(4)[ 2017-09 -04 ]
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• 2017年ベトナム行(5)[ 2017-09 -05 ]
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• 2017年ベトナム行(6) [ 2017-09 -11 ]
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• 2017年ベトナム行(7)[ 2017-09 -12 ]
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