10月6日 徳山ダム導水路ツァー |
ホームページに募集をかけても申し込みは少なく、どうなることかと心配しつつ、メール配信などでお誘いをかけたら間もなくバスの定員いっぱい40名の申し込みがあった。
当日は朝からあいにくの雨。
「夜の部」の鵜飼い観覧は、岐阜市が朝には中止を決めたのでお流れ。
エクスカーションは天候に左右されるが、こればかりは、計画・募集段階では予定できない。
しょうがないなぁ。
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往きは、揖斐川町の中心部を通って、揖斐川が濃尾平野に出る場所を通るつもりだったが、ある交差点で本巣のほうに折れてしまったので、そのまま揖斐峡の横っ腹に出る事になった(帰りも同じコース)。導水路予定地の傍を通る、という意味ではこちらのほうが正しいともいえるのだけど。
コース地図(黄土色の線で表示。詳細はPDFファイルで)
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/20181006map.pdf
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このブログ記事の目的の一つは、実は資料をアップすること。
10・6徳山ダム導水路ツァー資料PDFファイル
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/20181006shiryou.pdf
以下、少しシツコイが画像もアップ(このブログの仕様では画像拡大ができない。詳細はPDFファイルを)
まず最初に昔ダム工事の拠点があった場所近くの「生命の水と森の活動センター」へ。
http://www.inochinomizutomori.or.jp/
1999年の「川の首締め工事」(転流工事)とか大規模な堤体掘削の場面とか、90トンダンプが行き交った様子とか。悔しさと懐かしさが奇妙にないまぜになる。
光量の関係もあって、上手く撮れなかったがとれなかったが「90トンダンプ」だけはどうにか。
雨と風の徳山ダムサイト。
ダム天端のダム湖側(北側)しか歩けない。
湖面上の建物のようなものが「選択取水塔」。
徳山ダム管理所の中の展示室。
晴れていれば、ここからもいろいろなものが見えるのだが、この日は写真になるようなものは見えなかった。
この後、徳山会館に行っていろいろお世話になった.
私はバタバタしていて写真を撮る余裕が全く無かったが、頂いた写真をば。
雨が降って、昼食を摂る場所がなかったので、1階和室をイレギュラーに貸して頂いて、昼食。
そこで会の関連本やらシールやら・・・
西平ダムの「導水路取水口予定地」を見るために揖斐峡大橋に寄ったが、雨が強くて橋に建てる状態ではなかったので、バスの車窓から「あの辺り」と眺めるにとどまった。雨で煙って見えにくいが、真ん中の白い問うのようなものより少し右方向(下流方向)が「取水口】予定地らしい。
揖斐峡大橋。毎月ここから取水をして千鳥橋との比較を行っている、水温、濁度、電気伝導度など。
橋のたもとの「乙原農林水産物販売所」。のれんの「おっかさんの店」に偽りなし。
古津の長良川放流口予定地まで来たとき、ようやく雨が上がった。
にも拘わらず、あっち向く人こっち向く人、揃わないのがこのツァーの参加者らしいところ。
「百害あって一利なし」の徳山ダム導水路。
本体工事が始まる前に止めるべきだ。
何故導水路が要るのか、と(愛知県や名古屋市の担当者に)訊くと、結局は「徳山ダムができちゃったから」という答えしか出て来ない。
「できちゃった」ものを使えるようにしないと住民から文句が出る、というのだろうか?
文句をいう市民がいたとしても、「これからまだ数百億円のカネを出さないと使えるようにならない」ということを知ったら「いや、それでも是非使えるようにして欲しい」と言い張るのはごくわずかしかいないだろう。
要らないものは要らない。要らないものにかけるカネはない。
では止めるにはどうするか。
簡単なこと。
愛知県と名古屋市が「撤退」すれば、きっちり止まるのだ。
「撤退」まとめPDFファイル
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/20181006tettai.pdf
愛知県も名古屋市も、無駄なお金を費やすことなくこの事業から手を引ける。
「国交省が手を引かさない」などというのは、30年、40年前の「常識」であって、今や神話・伝説の類いである。2003年、国交省(建設省)が率先して「撤退」の法整備をしおたのだ。
しかし、日本の地方自治は弱い。自治体のお役人が「国の計画に逆らうと国から睨まれて困る」という呪縛から逃れられていない-自分のアタマで考えることをしないのだ。
残念ながら、自治体住民自身がそのことに馴れてしまっていて、自治体の首長や議会を突き上げるに至っていない(給料を減らすの議員定数を減らすの、ということには熱心でも、数百億単位の無駄な事業をやめさせることには、関心の向かない人も多い。なんでだろう?)。
沖縄くらい酷い目に遭わないと、住民自ら考えて選び取る「民意」は醸成されないのだろうか?
酷い目に遭わされる前に、政策に活かせる「民意」を掴み取りたいと願う。
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