2019年の大垣まつり |
大垣まつり(大垣市ホームページ内)
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000001311.html
360年余の伝統を誇るとのことだが、私が大垣に移り住んだ1970年代終わり~1980年代には、「往時の大垣まつりの賑わい」は昔語りにしか感じられなかった。なんだかテキヤさんと小遣いを貰った子共達ばかりがはしゃいでいる、という印象だった。
2000年代に入ってから、地元から「見直し」が始まったように感じる。濃尾大震災や大垣空襲で焼失したり壊れたりした軕(やま)の修理・再建も進んだ。
2015年に「国重要無形民俗文化財」に指定され、2016年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録された。そうした宣伝効果か、最近では、軕(やま)を見物しに遠方から来る観光客も多くなって、「祭り」っぽくなった。
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《ウチの 近所で》
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《夜宮》
「夜宮」を見に、八幡神社前に出かけた。
夕暮れ時、13輌の軕が揃う。
「菅原軕」のからくり(紙に墨書する)は、良く出来ていると思うが、「令和」と書いて、拍手が起きたのには鼻白んだ。
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/DSCN4764.AVI
(再生まで少し時間がかかります)
「夜宮」時刻には、さすがに初夏の長い黄昏時も過ぎてすっかり暗くなっている。
だからこそ提灯灯りが映えるのだが。
【動画】夜宮 八幡神社前にて
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/DSCN4802.AVI
(再生まで少し時間がかかります)
2019年は、試楽、本楽ともによく晴れていた。
毎年のことを覚えてはいないが、「珍しく2日とも晴れた」という声をいくつも聞いから、「珍しい」のかもしれない。
祭りのさいちゅうには、あまり人出の中心になる場所(駅前通り新大橋付近と新大橋から西に入った水門川沿いの道)には近づかないのだが、今回はピンポイントで夕方の新大橋に居てみた。いつも以上に人が多いと思ったのだが、どうだろうか。
それにしても。
本来は旧暦五月十四日・十五日の祭礼である。
梅雨の真っ最中、雨天で当たり前、という時分である。
軕(やま)にとりつけた飾りの織物も濡れるだろうし、いくら漆塗りであっても軕そのものも湿気が浸み込むだろうし、提灯も濡れて消えてしまうのも少なからずあったかもしれない。
稲作にとって梅雨の雨は必要な雨、恵みの雨だが、輪中地帯の大垣周辺では梅雨末期には水害を発生させる「大迷惑な雨」にもなったであろう。
そうした備えも必要な時期ではなかっただろうか。
なぜ梅雨時の(旧暦)五月十四日・十五日だったのか?(ネット検索ではわからない)。
どなたか、知識をお持ちなら教えていただきたい。
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