横越と道塚堤(どうづかてい) |
木曽川水系河川整備計画変更原案パブコメと長良川の遊水池計画
(1) https://tokuyamad.exblog.jp/31032444/
(2) https://tokuyamad.exblog.jp/31033407/
(3) https://tokuyamad.exblog.jp/31034268/
(4) https://tokuyamad.exblog.jp/31034411/
の続き。
◇ ◇
ある人から、まさに、今、「河道内遊水地(?)」として河川整備計画の中に位置づけられようとしている「横越」の左岸に関する国交省木曽川下流河川事務所の記事を教えられた。
木曽川下流河川事務所HOME > 木曽三川で学ぶ > KISSO > KISSOこぼれネタ VOL.50
> 道塚堤と小俣川開墾事業
https://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/KISSO/kobore50.html
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
〔氾濫を繰り返す長良川〕
美濃市は長良川河畔に開けた町です。
美しい川の流れは美濃和紙という産業を育て、川湊を擁する要衝として町の発展の原動力ともなりました。
洪水に対する第一の備えが、河川堤防の保全であることは今も昔も変わりなく、人々の洪水との闘いは、堤防の保守でありました。
美濃市の南部の集落、松森・生櫛(いくし)・志摩・下有知(しもうち)の4つの集落を流れていた小俣(おまた)川も、近世以来洪水のたび川の流れが変わり、近隣の集落に大きな被害を与えていました。
山崎橋付近から上流へ余取川が長良川へ合流するあたりまでの堤防を道塚堤防と言います。
小俣川は昔は長良川の本流でしたが、洪水により現在の位置に移動。洪水の時の外は水の流れない川となりました。
(筆者注:この図では左側が北(上流))
古田東逸(とういつ)等が明治9年、小俣川の分流地点である松森地区沿岸の道塚(小字名)に堤防を築いて締め切り小俣川河川敷の開墾計画を立て、東奔西走して地元及び沿川諸村と話し合い、同13年、漸く協議が纏まりました。 「美濃市史 通史編 下」より
〔古田東逸と開墾事業〕
明治14年(1881)、この事業主体として興農社を設立、古田東逸が社長になり、株主(30余名)が出資し、開墾資金は総額1万円に達しました。
そして、小俣川開墾予定地38町96反余の払い下げの請願を内務省・農商務省に提出しました。
当時、政府は開墾地の拡張を図っていたので、早速両省は官吏とオランダ人技師デレーケを派遣して実地を検分、その結果、翌年には小俣川開墾予定地を10年間貸下げの指令があり、土地が引き渡されました。
(中略)
財産のほとんどを事業に投げ打った古田らを容赦なく襲う災害の数々。
こうした逆境に耐え忍びながらも小俣川開墾事業は約15年の歳月を経て、ようやく38町9反歩の耕地を得ることが出来ました。
この事業は近代における美濃市域最大の開墾事業でした。
その後も小俣川締切の道塚堤は伊勢湾台風災害までに幾度かの災害によって決壊し改修されましたが、延長800m余りの勇姿はその上流下流に続く堤防と共に、今も美濃市南部の治水の最重点となっています。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ついで:この「KISSO vol50」は「美濃市特集号」
https://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/KISSO/pdf/kisso-VOL50_190826.pdf
わぁ、さすが国交省。この辺りのことは「百も承知」だったわけだ。
「百も承知」で、ここに「河道内遊水地」という危険物を作ろうとしているんだぁ、すげぇ。
◇ ◇
11月29日、私たちはその道塚堤の上から、横越の中州を眺めていたことになる。
下は《道塚堤と小俣川》の話に基づいて旧小俣川の河道を推測して、Mさんが地図に落としてみた図。
これと美濃市のハザードマップからとった図を比べてみる。
赤線は道塚堤(筆者記入)
鮮明な図は以下
◆道塚堤と美濃市ハザードマップ
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota14/douduka&hazard.pdf
<参照> 美濃市ハザードマップ
http://www.city.mino.gifu.jp/pages/1992
旧小俣川河川敷は、黄色の地域「水の深さが1.0m~2.0m未満」の地域と重なることがわかる。水が入りやすい場所なのだ。
そして2004年の洪水のときには、道塚堤の裏(堤内側)が浸水していたこともこのハザードマップに表示されている。
道塚堤堤外(本流の面)は、接目から草が生えているような具合とはいえ、一応コンクリート被覆されているが、裏側は必ずしも被覆はされていない。
堤防の高さは不足しているから、大きな洪水のときには堤防を越えて提内地に水が入る。
堤防には両方の面から水が浸透していくことになる。「浸透決壊」が懸念される。
◇ ◇
(3) https://tokuyamad.exblog.jp/31034411/ に掲載したものを再掲する。
囲繞堤の一部の越流堤の高さについては、国交省のHP発表文書にはなかったのだが、問い合わせたところ、「TP61.0m」で計画しているらしい。
最近の洪水は、一気に水位が上昇する。
長良川では、上流に大きなダムはないから、最近全国で話題になってしまったダムの緊急放流-但し書き放流-による水位上昇は起こらないが、上流で100mm/hなどという豪雨が降れば急速な水位上昇は避けられない。
また、支流各所での斜面崩壊などにより大きな土石流が本川に流入することもありうる。
つまり、ある時間幅では、越流堤の高さを大きく超える洪水が本流を流れることもあるだろう(囲繞堤を作ることで川幅を狭くするのだから、なおさら)。
そして、当然のことながら、遊水地に越流堤の高さを超える水が入れば、本流の水位も越流堤より高くなる。
現況の越流提-左岸提の1.6mの高さの差は、「左岸堤の越水を防ぐ効果がある」とはいえない。
また、洪水ピークが過ぎた後に、囲繞堤下流部から洪水が排水されることになるが、それは、別の言い方をすれば、道塚堤付近が長時間にわたって高い水位に晒されることを意味する。
浸透決壊の危険は大きいと考えられる。
◇ ◇
国交省木曽川下流河川事務所「KISSOこぼれネタ/道塚堤と小俣川開墾事業」の結びは、こうなっている。
「その後も小俣川締切の道塚堤は伊勢湾台風災害までに幾度かの災害によって決壊し改修されましたが、延長800m余りの勇姿はその上流下流に続く堤防と共に、今も美濃市南部の治水の最重点となっています。」
この「最重点」の場所の河道内に流下を妨げつ人工構造物を作るという計画そのものが無謀だといえる。
「中州」には貴重な動植物も生息していると聞く。掘削してしまったら居場所を失うのだ(「移植/引っ越し大作戦」などというすでに失敗のヤマを築いている舌先だけの「保護」対策-超アホな話はやめて欲しい)。
11月29日、美濃市の武藤市長は下の「要望書」を木曽川上流河川事務所に出したという。
本気で「長良川遊水地計画(横越)について、早期の整備を図られたい」と言っているのだろうか?
それとも裏があるのか?
長良川河口堰建設を熱心に”推進”した海津町の水防団関係者が、数年前の長良川河口堰県民調査団の場で「河口堰の『治水効果』だぁ?そんなものあるわけがない、トロ臭いこと言うな。長年にわたって何度も要望してもやってくれなかった堤防の嵩上げや補強・拡幅を全部やるというから、俺んたは河口堰を作ることを認めてやったんだ」と言い放ったのを見て、妙に納得してしまった。
川を良く知る地元の人は必ずしも「騙されている」わけではない。
インテリ記者や学者、市民運動家や学者とは全く異なった土俵で、行政と「勝負」しているのだ-そうした「取引」を筆者が肯定している、ということではない-。
ただ、その場所で長々暮らす住民の、ある意味「狡い」智恵のありように気づかないままでいるとしたら、インテリ記者や学者、市民運動家は、どこかお間抜け、ぼけているともいえる―自戒すべし。
◇ ◇