続・東海豪雨20年 |
東海豪雨20年
https://tokuyamad.exblog.jp/31365477/
の続き。
<Tさんからの情報>
東海豪雨についての2020/9/12の朝日新聞の記事(電子版)です。
メーテレx朝日新聞の動画,池上彰さんと伊藤智彰記者との対談・都市災害の「原点」は東海豪雨だった、も電子版にありますので、ご覧ください
この災害後、新川決壊水害訴訟がありました。その最高裁判決時(2012/12/3)の日経新聞の記事を最後に載せます。
★朝日新聞デジタル2020年9月12日 7時00分
背丈を超えた濁流の恐怖、被災者のいま 東海豪雨20年
https://www.asahi.com/articles/ASN9C77HVN9COIPE003.html
(写真)追悼集会を前に竹灯籠(とうろう)に火がともされた=2020年9月11日午前5時53分、名古屋市西区、古沢孝樹撮影
★【動画】(メーテレ×朝日新聞)
「大都市も水害に襲われる 池上彰さんが唱える発想の転換」
池上彰さんと朝日新聞編集委員が東海豪雨をふりかえる=メ〜テレ撮影。
https://www.asahi.com/articles/ASN970QLQN94OIPE02J.html
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★日本経済新聞 2012/12/3付
東海豪雨訴訟で住民側敗訴確定 最高裁、上告退ける
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301F_T01C12A2CC0000/
2000年9月の「東海豪雨」で浸水被害を受けたのは河川管理に問題があったためだとして、名古屋市西区と愛知県旧西枇杷島町(現清須市)の住民らが国と愛知県に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は3日までに、住民側の上告を退ける決定をした。住民側敗訴の一、二審判決が確定した。決定は11月29日付。
一、二審判決によると、00年の東海豪雨で庄内川が増水し、大量の水が堤防の一部を低くした洗堰を越えて新川に流れ込み、新川の堤防が決壊した。訴訟では、洗堰の閉鎖工事をしなかった行政側の管理責任の有無が争点だった。
一審・名古屋地裁判決は、水害における行政の責任を限定的に解釈した「大東水害訴訟」の最高裁判決(1984年)を踏襲し、過去に洪水被害がなかったことなどから「洗堰を閉鎖しなかった行政の河川管理に瑕疵(かし)はない」などとして住民らの請求を棄却。二審・名古屋高裁判決も支持した。
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Tさん、朝日の記事、ありがとうございます。
東藤さんは、未だお元気で、喫茶店は今も営業しているようですね。
東藤さんは、芯の強そうな方で、記事あるように、原告団事務局の原告募集のチラシに応じて新川決壊水害訴訟に参加され、毎回、裁判傍聴と原告団集会に参加され、熱心に活動していただきました。
最後の最高裁決定の記事にあるように、2000年9月の新川決壊は、庄内川が増水し、庄内川から、新川に水が流れ込むように堤防の一部を低くしてあった洗堰を越えて、水位が低下しつつあった新川に流れ込み、再び新川の水位が堤防天端まで上昇したために起こりました。被災20年後の報道では、このことについて、どの社も報じず、誰も発言していません。被災体験の風化は恐ろしいですね(隠蔽でないことを願うばかりです)。
在間正史
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