「大晦日は大雪」とさんざん脅かされていた。
夜になって、どうも雪が舞っているらしい。
除夜の鐘が鳴り始めて、「大雪だったらどうする?」と恐る恐る外に出てみた。
道路の雪は、自転車で行けないほどではない。雪もやんでいる。
家の前の花の飾りの上にも、少し雪が載っていた。

まるっと外にある南天は、「雪化粧」という以上に雪を被っていたが。
まず東の等覚坊で、鐘をつく。

次に善教寺に。「寺内町1丁目1番地」にあるのだから、由緒あるお寺なのだろう。浄土真宗高田派なのだそうだ。
この頃に、また雪が舞い始めた。
完全に年が変わって、(善教寺の斜め向かいの)神明神社に初詣。

焚き火の傍の若い女性が「燃えている火って癒やされる」と呟いていた。
確かに電気による明や暖とは違う、何か安心感のようんものがある。
人類の祖先が火を使い始めた原始的記憶が遺伝子に組み込まれている?

家に戻って改めて庭をみると、「雪化粧」以上「一面真っ白」以下の積もり方。
続く。