丹生ダム跡地を尋ねるツァー(1) |
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2022年 04月 29日
・ダム建設で離村した集落を撮りためた写真展-幻の丹生ダム-[2021- 09-23] の続きでもある。 ◇ ◇ 4月23-24日に、「丹生ダム予定地の村への見学ツァー(丹生ダム事業で移転した集落跡を尋ねるツァー)」が企画されたので、参加してきた。(前滋賀県知事の嘉田由紀子参議院議員の事務所から案内を貰った。) 写真集「地図から消えた村-琵琶湖源流七集落の記憶と記録-」を出版された吉田一郎さんの案内で、丹生谷の幾つかの集落跡を尋ねるという企画だ。 ☆地図から消えた村-琵琶湖源流七集落の記憶と記録- 吉田一郎 (著)、サンライズ出版 ★朝日新聞 2021年9月23日 9時30分 ダム建設で離村した集落を撮りためた写真展 長浜 長浜市役所の職員だった吉田一郎さんは、1970年代に「地域を記録する」ことの大事さに目覚め、湖北の各地を写真や文章に記録した。その中でも、奥丹生谷の集落は、丹生ダム計画が進み、「そう遠くないうちに、これらの村(集落)はなくなってしまう。今のうちに撮っておかねば」と足繁く通ったそうだ。 1980年代に「水資源開発」を目的とした丹生ダム(当初は「高時川ダム」という名称)は、どう考えても「遅れたダム」であった。 1973年のオイルショックを機に、産業構造が変化した。廃水規制も強化され、工場内での水のリサイクルが常識となった。新たに「開発」」された工業用水の買い手がいないであろうことは十分に予測できた。都市化が進めば必ず増えると信じられていた水道水の原単位も、節水機器の普及などで増えるどころか減っていった。 2000年頃には、丹生ダムの利水者(例えば大阪府)あたりから「要らないのでは」という呟きが聞こえ始めた。淀川水系流域委員会でも建設するべきでないダムとして名前が挙がってきた。それでも、あれこれの「政治」が邪魔をして、『事業をやめる」という決定が引き延ばされていた。 2016年なって、やっと丹生ダム建設事業の中止が正式に決まった。 「要らないダムではないか」と、関係自治体の中から声が出ても、中止決定に十数年も要する、山ほどのシンドさがある。 とりあえず自分が担当者である間は「従来の計画通り進めます(完成時期は遅れますが)」としておくほうが、「事業中止」に向けて動くより遙かにラクだ。 私が担当者でも、「世論」「政治」が大きく動かない限り、「従来の計画通り」とやり過ごすことを考えてしまうだろう。この馬鹿馬鹿しい構造は何とかならないものか? <関連弊ブログ> ・丹生ダム 4知事視察に思う-2[2010-08-29] ・ 丹生ダム やっと終止符(1)[2016-07-27] ・ 丹生ダム やっと終止符(2)[2016-07-28] ・丹生ダム やっと終止符(3)[2016-07-29] ◇ ◇ 丹生ダム事業地の位置図や集落跡について、2011年の近畿地整&水資源機構作成の資料で瞥見。 【丹生ダム事業位置】 【丹生ダム水没予定地集落と移転状況】 出典:丹生ダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場第1回幹事会(H23(2011).1.18) 資料-5 丹生ダムの経緯及び概要(pdf,5,128KB) https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/kensyou/qgl8vl0000005v5j-att/niu_siryou05_110118.pdf ◇ ◇ 1995年の初夏には、徳山ダム建設事業審議委員会の設置の情報が、日本野鳥の会岐阜県支部のほうから、聞こえてきた。 「建設省が、たとえ口先だけでも『中止も含めて見直す』と言う事業審議委員会が”徳山ダム”に設置されるというのに、流域住民から反対のハの声もないまま、というわけにはいかない」と私は考えた。何かしら声を上げる団体をつくろう、と。 野鳥の会岐阜県支部の役員の中には「せっかくの機会だから、審議委員会の野鳥調査に協力して、徳山のイヌワシを確認しよう」という声もあった。岐阜県支部創設の頃からの会員である上田武夫さんは「徳山にイヌワシが生息していることはわかっている。『イヌワシが生息している』という調査結果を突きつければ、徳山ダムは止まるのか?」とその役員らに質した。「それは難しいかも・・・」との答え。「だったら調査協力なんてやめろ。これまでもあちこちの建設事業で、『調査に協力する』とやっては、結果的に建設を進めることを手伝ってしまったではないか。また同じことを繰り返すのか?」と鋭くおっしゃった。私はたまたまその場面に居て、上田さんを代表にして徳山ダム建設に異議を唱える運動を作ろう、と思った。 本来「貴重な動植物が生息する徳山を水没させるな」と声を上げて然るべき人たちが足を引っ張っている状況で、どんなふうに、いつ団体―運動を作るのか?1995年中に声を上げないと無意味になってしまう・・・そんなことを考えている1995年の晩秋の日曜日だった。(あとから 調べてみると、1995年10月22日。) 今庄に越前の太くて固めのお蕎麦を出すお蕎麦屋さん(刺身も出す)があって、休日にはよく食べに行った。 カーブの続く細い道、ダート、雪道などの悪路をドライブするのが好きな亡夫・正尚は、峠を越えて今庄に行き、別の峠を越えて戻ってくる、というハードなドライブを好んだ。 その日は、もうほとんどの建物が取り壊された旧徳山村を抜け、冠山峠へののぼりの途中を左に折れて、ダートの林道を走って金草岳の山腹を辿り高倉(こうくら)峠を越えて今庄に出た。 今庄からの帰りは、北国街道(国道365号)を通り、栃ノ木峠越えて近江に入る。いつもはそのまま椿坂峠へと南下するのだが、途中の中河内で、「左折 半明」という標識が目に入った。「はんみょう」という読みに惹かれて、その道に入ってみることにした。 結構広い舗装の道路だ。分水嶺近くの川の上流部の山間になんでこんな「立派な」道路があるのだろう?と不思議がっていると、「水資源開発公団丹生ダム建設予定地」の大看板が目に入った。 驚いた。 「水資源開発のための大型ダム」なんて計画は、徳山ダムが最後、と思っていたのに、徳山ダム予定地と背中合わせのようなところに水資源開発公団の大きなダム建設が進んでいる。自分達が「知らなかった」ことも衝撃だった。 人の気配のない集落跡をいくつか通って高時川沿いに下っていくと、鷲見(わしみ)という集落に、人が集まっている。注連縄風のものをつけた笹竹が何本かみえる。 聞いてみると集落の「離村式」なのだそうだ。 もうだいぶ陽が傾いていて、「何かの儀式は終わったが、まだ別に何かある」様子で、人びとは何となく時間を過ごしているようだった。 「離村式」という節目の日なのに、通りすがりの私たちの目には、晴れがましさも、悲しみも感じられない。その「特別な感情はない」「すでに決まっていることを淡々とこなしている」雰囲気が、胸に突き刺さった。 故郷の山村に住み続けるという選択肢を奪ったのは、一体誰なのだろうか(「為政者が悪い」「鉄の三角形が元凶だ」という類いの話では済まない)。 このときの思いは、「徳山ダム建設中止を求める会」発足の背中を押すと同時に、旧徳山村の人びとを蔑ろにする運動にはしたくない(当時、都市部のダム反対運動の中には「カネにほっぺたをひっぱたかれて移転した水没地の旧住民がダム推進の旗を振っている。環境問題などには全く無知で困ったものだ」というようなトンデモ「上から目線」の言動が存在した)と改めて思った。 そして、もし徳山ダム建設事業を中止する、という結論になったら、とても大変な作業(多分「建設」以上に複雑で大変なあれこれが)を要するだろう、とも思った。 それでも、というか、だからこそ「(すでに動き出した)公共事業を中止する」ことに、「この国」は真剣に取り組まねばならないのだと改めて思った。 <吉田さんの写真集より> この写真の数時間後に私たちは「鷲見」集落を通ったらしい。 <参照> 原田晃樹・金井利之 「看取り責任の自治 ― 滋賀県余呉町の居住移転施策を中心に ―」 ●-自治総研通巻378号 2010年4月号-● 看取り責任の自治(上) ― 滋賀県余呉町の居住移転施策を中心に ― ●-自治総研通巻379号 2010年5月号-● 看取り責任の自治(下) ― 滋賀県余呉町の居住移転施策を中心に ― ◇ ◇ この稿、続く。 丹生ダム跡地を尋ねるツァー
by tokuyamadam
| 2022-04-29 22:46
| 淀川水系関係
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