丹生ダム跡地を尋ねるツァー(1)
丹生ダム跡地を尋ねるツァー(2)
の続き。
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4月24日。朝食はウッディパル余呉の本部(?)棟。ここではケイタイは普通に通じる。
数十mなら電波が届く小型無線機を借りて、参加者各自がイヤホンで説明者の説明が訊ける状態に。これなら数台の車に分乗しても、車の中で説明が聞ける。さすが準備が良い。
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まず「小原(おはら)」。ここでは集落跡を含めて、環境(景観)を含む)保全活動をしているボランティアも集まっていた。
集落の中心的存在だったショウズ。湧水を目的によって順に使っていく仕組み。
<集落に暮らしがあった頃のショウズ>
湧水なので、今でもショウズの水は飲める。
(形は違うが、大垣市内中心部でも、戸別が主だが、こうした構造(湧水を目的によって順に使っていく仕組み)は近年まで残っていた。今は地下1300mほどの帯水層から自噴する自噴井に復元されている。)
ここに太々野功さんがいらしてくれて、いろいろなお話をして下さった。無線機のおかげで離れていてもお話は聞こえる。
家があったことがわかる石垣。園芸品種の水仙は、いつだれが植えたのだろう?
小原集落の傍を流れる高時川。いくつもの集落を水底に沈めて、この水をダムに貯めようとした。
写真集にもある春神社に向かって登る。神社の石垣は判然としない。
この大きな洞は、写真集にある「疱瘡の神」の大杉の洞だろうか?
下ってきたら、小原籠づくりの伝承者である太々野功さん。手近の葉っぱで小原籠の編み方を見せて下さった。「
この場所での集合写真。
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田戸(たど)に移動。標識がなければ、集落跡であることを見逃して通り過ぎてしまいそう。
この橋を渡って奥にいけば奥川並(おくこうなみ)に至るはず。
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鷲見(わしみ)に移動する途中、ユキツバキの花盛りが目に入ってしまった。先行している他の車から離れてしまうのを承知で、車を停めて撮影。
運転している彼女は、この辺りには詳しいから、誰も心配しない」こともわかっているし。
(この一行には「女性はか弱い。守ってあげるべき存在」という発想はない。居心地が良い)
この稿、続く。
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丹生ダム跡地を尋ねるツァー