2024.5.24~5.27 沖縄行き
の続き。
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【5月27日午前-1】
ホテルを出発してバスで南のほうへ。
沖縄戦で、日本軍が「最後の死守戦」とされた八重瀬岳-与座岳の丘に位置する八重瀬分屯地に。
車窓から与座岳に据えられた「ガメラレーダー」がみえる。1基180億円もする超高性能のレーダーだそうだ。探知距離は数千キロに及ぶという。周辺住民が、強力な電磁波による健康被害を心配するのも無理はない。
沖縄戦から10年後、米軍は再び八重瀬岳-与座岳周辺を強制接収し(「銃剣とブルドーザー」)、ミサイル基地とそのための通信施設を設置した。住民は核戦争を背景とする「冷戦」の最前線に立たされたのだった。1977年、南部弾薬庫だけは土地が返還されたが、その他は自衛隊に移管された。今は、先島諸島とともに、仮想敵国を中国とする「新冷戦」の最前線に立たされている。
米軍に強制接収された際、多くの御嶽(うたき)・拝所(うがんじゅ)も接収され、住民が拝みに行くこともできなくなった。代わりに(?)設置された拝所。ここから遙拝するしかないのだ。
南与座分屯地は、正門への道に入ってしまうと大型バスはUターンできないので、角に停まったバスの中から説明を聞き、写真を撮っただけ。
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名城地区、「一家全滅」の建物が売りに出されていた。誰かが購入し、建物を壊して、全く新しいものにする-沖縄戦の物理的な記憶が失われていく。
お弁当をバスに積み込んで、一行は降りる。陸軍病院本部壕跡(サキアブ)に向かう。
青いバナナは逃避行する住民の食料になったのだろうか?
続く。
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